(私の履歴書40代本社編)

サラリーマンは搾取の源泉

私の履歴書 40代本社編 『サラリーマンは搾取の源泉』 1992年(平成4年)本社営業本部営業企画課長の時です。 この時に調べたのが将来受け取る厚生年支給額です。当時の支給基準額は夫婦合わせて年間270万円前後と記憶しています。 当時でも、年々国の借金…

ランチェスター戦略での秋田県人論

私の履歴書40代本社編 BB営業部淀川部長が取締役営業本部長に就任し、その後任として同じくBB営業部の細田課長(仮称)が部長に昇進した。 ここで奇遇なのは、淀川営業本部長も含め、営業本部4人の部長の内、店装部の畑中部長(仮称)を除く私を含めての3…

しぼむ風船の如きの陰嚢

私の履歴書40代編『東京転勤・半地下生活の始まり』の続編です。 https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/64248151.html (今回から私の履歴書50代東京編になります。) この半地下に住んでから二ヶ月後、股ぐらに直径2ミリほどの小さな赤い粒ができた。こ…

東京転勤・半地下生活の始まり

私の履歴書40代本社編 『戦えない鍋蓋組織論の展開』の続編です。 https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/64246988.html 小野事業部長は私に言った。 「我社にこのような経営幹部がいると言うことは、我社はもはや独力でこの企業を維持発展する力はない。…

戦えない鍋蓋組織論の展開

私の履歴書40代本社編 淀川BB営業部長は、取締役営業本部長に昇進。彼は一部世間で唱えられ始めたネットでの通信技術の発達による中間管理職不要の鍋蓋組織論を引っさげ、各支店での月例エリア会議で、この説明に飛び回った。 私は、その姿とは、単純労働…

社長の嫉妬

私の履歴書40代本社編 1994年頃の或る日のことです。吉田専務に呼び止められました。 「川口社長がどうしても君を欲しいと言って太秦社長に懇願していましたよ」 びっくりしましたね。 川口社長というと、私の担当する子会社2社の中の1社のNK社(仮…

人生意気に感じる元公務員

天下りの必然性 2017/4/4(火) の続編です。 https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/64084709.html この当時の㈱ウズマサの年商は400億弱。経常利益は40億円~70億円。 上場もしていないし、大衆相手の機器を製造しているのでもなく、ましてや関西企業…

天下りの必然性

私の履歴書 40歳代本社編 『社長の怒号・罵倒から胃袋を守る』 2017/2/4(土) http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/64017663.html ≪官公庁営業のレポートでの激怒≫の続編です。 ✩ ✩ ✩ 私が官公庁OB雇用案のレポートを提出してから太秦社長(仮称)の罵倒は…

『社長の怒号・罵倒から胃袋を守る』

この記事を現役の皆さんには是非一読して欲しいものです。 参考になることが、このくだらん記事中に必ずあるはずですから。 私の履歴書 40歳代本社編 『社長の怒号・罵倒から胃袋を守る』 ≪老人福祉施設の市場報告での激怒≫ 私が部長心得に就任してから間…

病院へのアプローチの模索

阪神淡路大地震は1995年(平成7年)1月17日(火曜日)の午前5時46分に発生しました。それは、私が部長になってから三年目に入る直前の時です。 この震災で、神戸営業所の一年生社員が寝泊りしていた神戸市内の木造家屋1階がペチャンコになりました。処が彼…

特許を取得した機器の開発苦闘

私の履歴書・40代本社編 『特許を取得した機器の開発苦闘』 部長就任直後に着手したもう一つの製品があります。それはHM課(氷見課長59歳)の対象とする新顧客層向けの新しい業務用機器開発です。 その開発する顧客層とは、ケータリング(註1)、受託給…

超赤字会社が一転、超優良企業へ

≪前回記事≫ 私の履歴書40歳代本社編 「部長心得就任と部署内の反発』 2016/6/16(木) http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/63748567.html#63748567 私は部下の北村主任に言った。 「明日の午後、私はAB社の羽田社長と会い、新商品の提案をする。もしも君が…

私の履歴書:部長心得就任と部署内の反発

私の履歴書40歳代本社編 部長心得就任と部署内の反発 1991年2月から本社営業企画課長として満3年経過した1994年1月、吉田専務室に呼ばれ、突然『本社営業本部産機営業部(以下IM部と称す)・部長心得』を言い渡された。内示もなく突然である。…

私見「ブラック企業の定義」とは

1994年だったと思いますが、私より一個年上の社員が業務外の病気で亡くなり、会社側は、勤務期間に見合った退職金相当額と別途弔慰金と合わせて確か二千万円の現金を遺族の奥方に渡しました。 更に、奥方には、亭主の死亡から二年間(24ヶ月間)、毎月…

40歳代後半からはまった競馬

古いUSBメモリを開いたら、書きかけのものがありましたので、それを書き直して掲載します。 この書きかけは、下記の続編です。 私の履歴書・407 本社のアフターファイブとは麻雀 2011/12/1(木) http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60987006.html (続編) …

阪神淡路大震災でのIM教室

さてその当日の1月22日(土)、予め決めておいた阪急電車に乗車。 向島係長は、前日、軽四トラックで事前に各家を周り、ママチャリを積んで、当日は渋滞を考慮して早朝に出発していました。 (昨日の前回記事) http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61719…

阪神淡路大震災での対応

私の履歴書 40歳代 本社編 明日1月17日は、阪神淡路大震災から18年になりますね。 下記は以前の記事を加筆と修正をしたものです。 ◆ 私は1991年着任した営業本部営業企画課長を3年務めた後の1994年2月営業本部産業機器営業部(通称 IM部 仮称)の部長に就…

6年間不動産を売らない理由は幽霊

私の履歴書 409 1991年8月の終わり頃、高槻市から島本町に引っ越しました。 最初の異変は、就寝後眼球に力を入れると白い雲が左から右へ流れること。 時には右から左へ、或いは正面奥から眼前への時もありました。 その時は、その白い雲は私の身体を通…

社会の常識を教えない小学校

私の履歴書・408 再々度、1991年春に戻ります。 春休み中に家族は札幌から高槻市の会社の寮に引っ越しました。 本当は、自分の選ぶ住居を会社契約として借り上げても良かったのですが、ここは1983年(S58)前後の約3年間住んでいた所ですから、下の子の小…

本社のアフターファイブとは

私の履歴書・407 話を再度札幌から本社に転勤した1991年2月に戻します。 本社着任早々、てぐすね引いていたのは麻雀キチガイ連中。(失礼!) . . 家族を伴っての転勤の場合、転勤手当てが基本給の一ヶ月分出ます。 無論、引越し費用や家族の移動旅…

しびれた石塀小路・Tintoのロック

私の履歴書・406 今回は、1994年前後の京都東山・石塀小路のスナックTinto(ティント)の話しです。 だいたいが、ここに行くのが11時を大きく回ってからでした。つまり、千鳥足になってからです。 . . 同時にに脚力と視力も弱っているわけです。 …

京都祇園の宵

私の履歴書・405 バブルがはじけたのが1991年早々。1992年度も我社では依然と業績は記録を更新していました。 .処が、1993年度早々から毎月の売上は昨年を割り出したのです。 . と言っても、これは予期していたこと。大手顧客が新年度には設…

この研修参加者の大半がその後役員に就任

私の履歴書・400 「後継者育成塾」(略称 NF塾)の第一回目研修は十三のホテルプラザオオサカで1月29日(木)~2月1日(土)の三泊四日でしたね。 (参考)私の履歴書・396 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60831500.html . . 第二回目は同じ…

季節の変わり目に起きた火事騒ぎ

前二回は寒くなる記事という事でしたので、今度は暖かくなる記事にします。 と言っても、火事の話しですから暖かくなりますかどうか。 私の履歴書・404 本社着任二年目の季節の変わり目の時です。 恐らく秋のことだったと思います。 芥川女子が営業本部…

この世に未練を持つ故人はこの世をさ迷う

私の履歴書・402 前回の記事では、駿河大納言忠長の自刃の場面が現われましたね。 以下、その後日談です。 注)前回No.401の記事 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60866042.html その朝、支店長の松山君(仮称)がホテルまで迎えに来ました。 私は…

高崎のホテルでの怪奇な一夜

私の履歴書・401 以前、天満宮の菅原道真公の霊魂の事を述べましたが、今回は駿河大納言忠長の霊魂との遭遇です。 . ☆ ☆ ☆ 駿河大納言忠長とは、徳川家三代目将軍徳川家光の弟。 兄・家光よりも才覚があり、家光の存在を脅かします。 跡目三代目将軍を巡…

財界人が行列していた湯島の芸者

私の履歴書・399 1992年3月11日(水)~13日(金)大阪市中央区のホテルでのニ泊三日の合宿の初日に講義されましたのが ㈱大阪銀行代表取締役会長 石原保氏。 演題は「経営の基本」 . . 翌12日はケーススタディとして二人の社長が登場しまし…

逆境があったからこそ

私の履歴書・398 前回に引き続き、1993年、セーレン㈱川田達男社長との懇談会の話しです。 ★ 繊維業界の全盛時代、彼は明治大学経営学部卒業後、倍率150の名門・福井精練加工㈱に入社。 . . その新卒研修期間、この企業は単なる下請企業に過ぎな…

セーレン㈱川田達男社長(1993年当時53歳)との懇談会

私の履歴書・397 1993年、この後継者育成セミナーでは、ホテルでの缶詰の他に、企業訪問や工場見学、並びに訪問先企業の社長との懇談会がありました。 その中で印象深かったものを幾つか。 ★ 11月13日(金)、福井のセーレン㈱(東証3569)…

過酷だった十三(じゅうそう)での研修

私の履歴書・396 1992年の秋 吉田本部長に茶封筒を渡されました。 「このセミナーに参加するように」と言いながら。 その案内書には「後継者育成塾」と書かれています。 略称「NF(ニューフロンテア)塾」 主催は、関西のある財団法人。 研修期間 一…