戦えない鍋蓋組織論の展開

私の履歴書40代本社編

淀川BB営業部長は、取締役営業本部長に昇進。彼は一部世間で唱えられ始めたネットでの通信技術の発達による中間管理職不要の鍋蓋組織論を引っさげ、各支店での月例エリア会議で、この説明に飛び回った。

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私は、その姿とは、単純労働やソフト組織なら、或は、従来の課員が全てプロフェッショナルならば成り立つかもしれないが、チームで目標達成を目指さなければならない困難な仕事や、それらのプロセスを通じて新卒や中途採用などでの未熟者を育てる義務のある組織には不適合であると主張した。

他方、その理論は、鍋蓋の柄の部分にあたるトップが、他の部員の誰よりもスーパーでなければならないこと。例えば、営業組織の場合、営業の出来無い物が鍋の柄の位置に就いた場合、的外れの指示が出されるリスクがあり、結果、組織を破壊するだけではなく、何れ会社そのものを滅亡に導くものとして吉田専務に力説した。

然し、私の提言は馬耳東風の如く無視され、私は吉田専務、並びに、淀川新取締役営業本部長(以下淀川本部長と称す)の好ましからざる部下となった。

それに伴い、淀川本部長が打ち出した新政策は、京都本社の営業本部を東京に移転するというものである。これは織田信長が居城を変えたのと同じ理屈だ。

皆が困った。何しろ鍋蓋組織である。
一般社員は私達部課長の意向を聞いてはならないのである。

淀川取締役は宣う。「東京に転勤するかどうかは各個人の自由である。京都の方が良いと思う者は、京都に残れば良い」

だが、同じ営業本部内でも淀川本部長の未知の分野である田中部長の部門組織全体は京都に固執し動かなかった。

何しろ彼らの顧客の過半数は関西と中部だったからと、彼の部下のある一人の課長が強烈な個性でカリスマ的に部下を引っ張っていたから、彼らの部下も京都在留をいち早く決めた。

淀川本部長のこれまでに指揮をとっていたBB営業部の場合、この部署の9割の売上であるLL社の本社が東京故に、確かにBB部にとっては東京移転が有利である。

最も混乱したのは私の部署だ。
顧客は薄く広くまだらに全国にまたがる。
3人の課長、それぞれの係長、主任、一般社員が路頭に迷う。

何しろ、上司に相談せずに個々が自ら決めよとの仰せだからだ。
そして一人、また一人、と東京行きを表明する。何しろ鍋蓋組織での人事権は鍋蓋のトップの柄、つまり淀川本部長が握っているから、従わざるを得ない。

2月下旬から3月初めにかけて私の部員は次々と東京に転勤していった。元高崎支店長だった総務の松山部長(仮称)は、首都圏エリアにある三ヶ所の独身寮の部屋割りに追われていた。

京都に残ったのは、私の部署の1課長と2課の北村主任だけ。と言っても、私の部署の過半数は支所の人員が不足ということで、この部署から引き抜かれ、各地へ転勤していった。

北村主任の京都残留には理由がある。彼は子会社のAB社担当で、主に設計や工場との打ち合わせが仕事の大半だからだ。それに彼の妻は病気だからだ。

私より十歳年上で私を競馬に誘ったメンテナンス事業本部小野取締役本部長(以降、小野事業部長と称す)とは、度々、この会社の現状を嘆いたものである。

小野事業本部長曰く
「この会社は長くはない。表面的には無借金経営だが、無借金経営の原資はもう10年もしたら枯渇する。それに淀川取締役は営業というものがどんなものかを全く知らず、単に、大口取引先であるLL社に国立東北大学での同級生が何名かいるからと言って取締役営業本部長にまで昇り、更に、営業組織まで鍋蓋に切り替えた。その彼が一人で数十名の本部社員個々に指示し、業績をあげることは不可能である」

その頃、淀川本部長の主要顧客であるLL社が新たな方針を打ち出した。
その概要は、㈱ウズマサに納めていたLL社の所有する数十万台の10年間のメンテナンス料を打ち切り、LLが自社で退職OBを使ってメンテナンス新会社を立ち上げ、その新会社が直せないものだけ㈱ウズマサに修理依頼をするという内容だった。

この交渉には当然淀川本部長と、製造部の男山取締役部長も列席し、LL社のいうがままの調印をしたのである。

それを聞いた小野事業本部長は烈火の如く激怒した。
「そんな馬鹿な交渉があるか、ワシが再交渉するから付いて来い!」

彼らの交渉とは、1台に付き10年間のメンテナンス料10万円が実質的には数千円にまで減額となり、責任だけをとらされるというまさに屈辱的なものだった。LLの新会社とはLL社を定年退職した60歳以上のド素人での編成であり、ドライバーの使い方さへまともに出来無い連中である。

だが、彼らが故障現場に駆けつけ修理が出来無い場合、㈱ウズマサは即日修理対応をしなければならないという内容なのだ。

このような対応内容は従来と同じで、全国の都道府県にある㈱ウズマサの全拠点に、市場で稼働している数十種の機器のパーツのストックのみならず、主要なパーツも従来通りメンテナンス員の車に常時積んでおかなければならないのである。

このコストだけでも膨大な額となる。彼らは単純に表面的な足し算引き算だけの思考でしかなかったのである。いかに帝大出であろうが、現場を知らずして、あるいは修羅場の交渉体験なくしては、相手の意のままの結果となることは一目瞭然である。

小野事業本部長の再交渉に同行したのは淀川本部長だけで、男山部長は出張を理由に辞退した。再交渉の場で、小野事業本部長は、我社のこれまでの貢献と、これから起きるだろうLL新会社とそのユーザーとの新たなトラブルの事態を想定し、調印した契約の破棄を申し出だ。

LL社は、即決はしなかったが、後日、前回の契約の破棄を了承し、改めてテーブルに乗り、小野事業本部長の提示する額で調印し直した。




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