2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

そのままお出かけできる女性用ステテコがある!

朝、マンマはお出かけ準備。 マンマが鏡の前。 変なものを穿(は)いている。 「何じゃそれ?」 「パンツの下に穿く物よ」 「と言う事は、ステテコじゃないか。そんなものいつからあったの?」 「流行り出したのは二年ほど前かしら。べたつかなくて穿き心地…

シンデレラ姫の帰社時間は午前様

私の履歴書・297 翌朝出勤しますと、世子(よこ)と亜子(あこ)は、もう皆の前で宣言していました。 『次月二人で一億円を達成し、一人2万五千円のすき焼きを食べに行く』と。 . . 但し、彼女等の売上額一億円には、条件が二つありました。 一つは、納品立…

明確なる目標とは料亭のすき焼き

私の履歴書・296 1989年3月年度末、魚住君が興奮しながら事務所に帰ってきました。 「所長、大変です。山川に30台やられました」 . . 山川とは、一年4ヶ月前我社を辞め、個人で独立した男。 早速、ブルー社の特約店となっていましたね。 山川君は、子会社勤…

若き女性の営業戦術

私の履歴書・295 私に報告や依頼ごとがあった場合、男性社員は私の机の前に立つ。 処が、女性の場合は、私の椅子の真横に立つ。 いつも世子(よこ)は私の左手に、亜子(あこ)は右手に立つ。 . その時二人共に私の椅子の肘掛は、彼女等の身を委ねる場所と…

竜巻のなり損ないでした

おあつうござります。 偶には雨が降って欲しいものですね。 24日(土曜日) 午後5時24分 この青空の上空で 雷鳴? まさか? 左向こうは、生駒山の奈良方面。 昨日25日午後5時15分も雷鳴。 向こうの雲なら分かる。 ゴロ!と鳴るのは、昨日と同じく青空の真上…

私の履歴書 40歳代 広島常務編 目次

【私の履歴書 40歳代 広島常務編 目次】 1985年(昭和60) 営業本部係長だった私に下された転勤命令。 それは、4月1日付けで新設する『中国ウズマサ・メンテナンス㈱』(仮称)での常務取締役に。 但し、常務の私、課長、係長、一般社員2名の計5名でスター…

女性が未来に向けて最も輝く年齢とは

私の履歴書・294 私の場合の社員教育指導は、三つだけでした。 一つは、温泉一泊講習会。 これは世子社員の入社を機会に隔月から毎月開催に変更しました。 . 二つ目は、毎週一回二時間のミーテング。 この一週間の活動内容と実績。見込み客表。次週の行動計…

女子営業社員・世子の戦術

私の履歴書・293 今から思い起こせば北海道にバブルがやってきたのは、世子の入社した1988年4月からでしょうね。 この年の私達の業界での大きな変化と言えば、食品メーカーが機器を買い上げ、小売店等には無償貸与する形になったことです。 . . そして、ど…

遅いですが、今朝、朝顔が咲きました

今朝、今年初めて朝顔が咲きました。 勝手に生えてきたもの。 今年は、途中から新芽を抜かなかったから、生えるは!生えるは! 数十本も。マンマが抜かないでと言うから。 やれやれ、これからの水遣りが大変。 処で、昨夕から蒸し暑くなりました。 南風が止…

ヤング・セールスウーマンの実力

私の履歴書・292 世子(よこ)と亜子(あこ)が「相談がある」と言います。 制服が欲しいとのこと。 毎朝、何を着ようかと悩ましいとのこと。 . . . 本社総務部に相談。 総務部の回答は 「会社として決めていないから、デパートでスーツを購入し、それを制…

宿をあわてさせた道内家族旅行

私の履歴書・291 札幌に転勤した翌年(1988)の秋、翌翌年(1989)の五月連休の宿泊予約を電話で入れました。 それから正式申し込みの往復葉書を出さずに、その翌翌年の五月連休、家族四人で出かけました。 最初の宿泊は、十勝岳温泉凌雲閣。 注)左の写真…

分からなかった複雑なる女心

私の履歴書・290 1988年4月4日入社の世子(よこ)。 4月下旬から、一人で営業活動を開始しました。 . . .世子に言いました。 . 「お客さんとのお茶や飲食の場合は、おごってもらったらいけませんよ。 必ず、あなたが支払いなさい」 続けて 「その額が一万円…

今日も青い夏空

昨日から、暑い夏が始まりましたね。 昨日の朝のセミです。 左がアブラゼミ、右がクマゼミ。 子供達のセミ取りで、ギャーギャーとセミが泣きわめく暑苦しい夏ですね。 写真は一昨日の夕方の雷雲。 雲は生駒山の方の南東からですから、梅雨明けの時のパター…

女性に甘かった男とは誰?

私の履歴書・289 社員研修の宴会の席で、どうしたら世子(よこ)の心を捕まえるか! 考え出したのは、暴露メモ。 . . . A4コピー用紙を四つに切り、それを全員に予め渡しておく。 その紙に書く内容は『会社で変と思ったこと』 無記名で一人一枚以上、何枚で…

当初、笑顔を見せなかった世子(よこ)

私の履歴書・288 1988年4月4日 世子(よこ 22歳)が入社。 世子の机の上には、名刺100枚単位の箱5個で500枚。 辛うじて間に合いました。 . 本社に世子の名刺作成依頼をするも、本社の出入り業者では間に合わない。 名刺の台紙を送ってもらい、こちらの印刷…

二人目のスーパーレディーとの遭遇

私の履歴書・287 「水無瀬所長、LL社でキャンペーンガールをしている二人の女性が、この三月末、契約三年の期間満了で退職するという事です」 「キャンペーンガールってアルバイトの学生じゃないの?」 . . 「あれ? 所長、知らないのですか? 常勤ですよ。…

お手本になった19歳の女性営業員

私の履歴書・286 亜子の運転する車に乗ってLL社札幌支店へ。 車中、亜子に旭川出張所社員に言ったように、繰り返し言いました。 . . . 「毎日のように訪問したいなら、訪問都度彼等に提供する情報が要る。 その為には、毎日相当数の顧客を訪問し、LL社に…

変貌する街を歩く

5月中旬、再度、鶴舞公園(本荘城跡)に。 この城跡で最も高い場所と思われる本丸北西端に位置する丸具足櫓跡へ。 ここには、本荘藩戊辰之役勤皇碑が立っている所。 川向こうの新山を撮っていましたら、ベンチに腰掛けている白髪の人が話しかけて来ました。…

19歳の亜子の決意

私の履歴書・285 1988年2月下旬、亜子(あこ)が営業をしたいと言ってきましたね。 そこで、それまでヘルプをしていた草野君の《エリアA》(札幌市西部、国道5号線小樽市、倶知安町)で動いてもらうことにしました。 3月上旬のある晴天で暖かい日の朝でし…

悩む19歳の亜子(あこ)は可愛い

初めて読まれる方へ) 高校1年で退学処分を受けた亜子(あこ)。 19歳の彼女が、「このままでは私は駄目になる」と、我社のアルバイトに応募。 そのくだりは、この記事の二つ前のNo.282から→No.283です。 私の履歴書・284 二日後、亜子から電話。 「眠…

亜子との秘密の約束

私の履歴書・283 そこで初めて履歴書を開きました。 「見て下さい。高校のところを」 その欄には『高校一年10月退学』と書かれてある。 「私、高校中退なのです」 「ちょっと待って! この生まれた年って??? 君は一体何歳なの?」 「十九歳です」 「まさ…

かっての不良少女・亜子との出会い(序)

私の履歴書・282 同じく1987年秋 本社人事部に来春の新卒の配属を何名か要請するも無理との事。 . . . 大卒男子120名の採用予定に対して、未だ70数名しか内定を出せていないという。 本州では、バブルが始まっていたのです。 『来春の新卒採用数が足りない…

若い娘や小母さま族にもて過ぎた社員

私の履歴書・281 1987年秋 山川課長の転勤拒否で空席になった旭川出張所長のポスト。 そこで、私が旭川出張所長を兼務。 26歳の一般社員斎木君を所長代行に。 . 彼は自信が無いと再々申し出ました。 「それじゃ、当分、毎日あなたにFAXで指示します。 あな…

勝負手だった両名の辞表

私の履歴書・280 魚住社員が興奮して帰ってきました。 「すすきの交差点がやられました!」 . . . すすきの交差点とは北海道の最高の場所で札幌のシンボルの一つ。 東京で言えば三越と和光がある銀座四丁目交差点のようなもの。 それから間も無く 「駅前通…

眼で物を言う女性を採用したいけど

私の履歴書・279 6月下旬には、人事異動がありました。 名古屋支店総務課の森口主任(34歳)が札幌営業所の総務係長として転勤してきました。 結婚して1年ですから、新婚のうちですね。 森口係長が最初にした仕事と言えば、事務員の由紀さんを度々泣かせた…