#伝記、自伝

私の履歴書40代本社編目次

私の履歴書40代本社編目次 1991年2月、札幌営業所から本社営業本部に着任してからの奮闘記です。 記 ≪本社営業企画課長時代≫ 私の履歴書・386 京都先斗町での別れの演出 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60654698.html 私の履歴書・387 戒めの七…

私の履歴書40代北海道編 目次(1)

【私の履歴40代北海道編 目次(1) No.229~No.280 】 1986年12月から1991年2月6日までの札幌勤務満四年間のサラリーマン歴戦記です。 普通では考えられない血判状を突きつけられた四面楚歌の地で、 どのようにして北海道を制覇していったかの記録でもあり…

私の履歴書40代北海道編 目次(2)

【 私の履歴書・40代北海道編 目次(2) No.281~No.342 】 1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月6日までの札幌勤務満四年間のサラリーマン歴戦記です。 亜子との出会い、そして世子との出会いが、私を豹変させます。 尚、各記事ごと、コメント…

私の履歴書40代北海道編 目次(3)

【私の履歴書・40代北海道編 目次(3) No.343~385 】 1987年1月から1991年2月迄の四年間の札幌勤務時代のことです。 私の履歴書・343 不発に終った柳の下戦略 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60035281.html 私の履歴書・344 老いても健康の秘訣はメ…

「私の履歴書」30歳代編 目次(1)

【「私の履歴書」 30歳代編目次(1)】 正確には1974年(昭和49年 29歳)初夏、新婚旅行の記事からです。まあ、とんでもない旅行会社があるもの。 目次 No.113《新婚旅行で妻に言った言葉》 とんだ新婚旅行① http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/56532656.…

「私の履歴書」30歳代編 目次(2)

「私の履歴書」 30歳代編 目次(2) No.152《「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」の袈裟の私》 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/57971221.html 部長と支店長の犬猿の仲の事由。早撃ちマックの奥方曰く「あはは、カラスの行水のパタパタだからね」 No.153《…

「私の履歴書」30歳代編 目次(3)

「私の履歴書」30歳代編 目次(3) No.191《聴衆を総立ちにさせた私の講演》 藤三商会㈱講演① http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/58606744.html ^^^^^私の新卒部下と他社の新卒とはどこが違うのか。 No.192《講演は、最初の数行が勝負》 藤三商会㈱…

「私の履歴書」幼少~10代編目次

「私の履歴書」幼少~10代編目次 私はこうして生まれた 2016/3/16(水) ★ https://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/63626281.html (幼少時代目次) 私の履歴書①二歳で酒を飲む 〈上郷村〉★ http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/49409540.html 私の履歴書(…

昭和版ハーレム

私の履歴書 20歳代編 昭和版ハーレム 1977年(昭和42年)の春のことです。 我等ウナギの寝床のメンバーに浜中(仮称)さんがいました。彼は同志社大学6回生。出身が九州熊本。地元の熊本大学卒業後、同志社大学に入りなおしたのです。父親が小学校校長…

やはり他人の人望を許せない人

私の履歴書:50歳代東京編 『やはり他人の人望を許せない人』 実は、男山製造部長が手を打てずにいた組み立て工程を担う下請けの火事による大幅な我が社への納期遅延を、私が要の部品製造下請け各社を直接訪問し、何とか納期に間に合わせることが出来、それ…

病院へのアプローチの模索

阪神淡路大地震は1995年(平成7年)1月17日(火曜日)の午前5時46分に発生しました。それは、私が部長になってから三年目に入る直前の時です。 この震災で、神戸営業所の一年生社員が寝泊りしていた神戸市内の木造家屋1階がペチャンコになりました。処が彼…

特許を取得した機器の開発苦闘

私の履歴書・40代本社編 『特許を取得した機器の開発苦闘』 部長就任直後に着手したもう一つの製品があります。それはHM課(氷見課長59歳)の対象とする新顧客層向けの新しい業務用機器開発です。 その開発する顧客層とは、ケータリング(註1)、受託給…

超赤字会社が一転、超優良企業へ

≪前回記事≫ 私の履歴書40歳代本社編 「部長心得就任と部署内の反発』 2016/6/16(木) http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/63748567.html#63748567 私は部下の北村主任に言った。 「明日の午後、私はAB社の羽田社長と会い、新商品の提案をする。もしも君が…

私の履歴書:部長心得就任と部署内の反発

私の履歴書40歳代本社編 部長心得就任と部署内の反発 1991年2月から本社営業企画課長として満3年経過した1994年1月、吉田専務室に呼ばれ、突然『本社営業本部産機営業部(以下IM部と称す)・部長心得』を言い渡された。内示もなく突然である。…

私はこうして生まれた

序 私たちは天文学的確率でこの世に生まれた。例えばもしも、地球の生まれる前から、そして人類が地球に出現し、祖先が何世代も繰り返した後の私の誕生まで、何かが一つ違ったら、私という存在は永久に無かったであろう。 その中で、私が何故に生まれること…

本当のプロの実力を知る

5年前、マンマがDデパートの通販で私の腕時計を購入した。 電池式では、電池交換と時刻合わせがいたしい(広島弁で面倒だ)のでソーラー・電波腕時計にしたもの。 北海道に行く数日前、そのソーラー電波腕時計が物も言わずに突然止まった。時計が僅か5年で…

40歳代後半からはまった競馬

古いUSBメモリを開いたら、書きかけのものがありましたので、それを書き直して掲載します。 この書きかけは、下記の続編です。 私の履歴書・407 本社のアフターファイブとは麻雀 2011/12/1(木) http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60987006.html (続編) …

阪神淡路大震災でのIM教室

さてその当日の1月22日(土)、予め決めておいた阪急電車に乗車。 向島係長は、前日、軽四トラックで事前に各家を周り、ママチャリを積んで、当日は渋滞を考慮して早朝に出発していました。 (昨日の前回記事) http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61719…

阪神淡路大震災での対応

私の履歴書 40歳代 本社編 明日1月17日は、阪神淡路大震災から18年になりますね。 下記は以前の記事を加筆と修正をしたものです。 ◆ 私は1991年着任した営業本部営業企画課長を3年務めた後の1994年2月営業本部産業機器営業部(通称 IM部 仮称)の部長に就…

北海道の社員の給与問題

それから二年後(2010年)、又々斉木君から電話が来て会いました。その時の彼は会社の早期退職斡旋を機会に会社を辞めていました。 ☆ (前回記事)誰も務まらなかった仙台支店長 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/61712875.html ☆ (参考)斉木君の…

札幌クラブハイツ2月末閉店で思う

昨日、札幌クラブハイツが、この2013年2月28日をもって閉店するという知らせをあるブロガーからいただきました。 (住所)札幌市中央区南5西3 札幌東宝公楽6F http://sapporo.keizai.biz/headline/1572/ http://www.theatres.co.jp/news/2012/2013_01_08…

社会の常識を教えない小学校

私の履歴書・408 再々度、1991年春に戻ります。 春休み中に家族は札幌から高槻市の会社の寮に引っ越しました。 本当は、自分の選ぶ住居を会社契約として借り上げても良かったのですが、ここは1983年(S58)前後の約3年間住んでいた所ですから、下の子の小…

男子の弱体化は草食だからではない

東尾理子さんが懐妊したとのことでしたね。 どうやら不妊治療の効果が出たようですね。 (理子さんのブログ) http://ameblo.jp/riko-higashio/day-20120302.html この不妊治療で思い出しました。 時期としては、杉並・河北総合病院、築地・聖路加国際病院…

日本では昭和33年(1058)に禁止された遊郭

慰安婦問題を調べていましたら昔のことを思い出しましたから、私の履歴書・64の記事に下記の記事を追記しました。2011.12.21 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/52273582.html ★ 昭和42年だったと思いますが、東京芸大を中退して京都に来た真っ黒い…

本社のアフターファイブとは

私の履歴書・407 話を再度札幌から本社に転勤した1991年2月に戻します。 本社着任早々、てぐすね引いていたのは麻雀キチガイ連中。(失礼!) . . 家族を伴っての転勤の場合、転勤手当てが基本給の一ヶ月分出ます。 無論、引越し費用や家族の移動旅…

しびれた石塀小路・Tintoのロック

私の履歴書・406 今回は、1994年前後の京都東山・石塀小路のスナックTinto(ティント)の話しです。 だいたいが、ここに行くのが11時を大きく回ってからでした。つまり、千鳥足になってからです。 . . 同時にに脚力と視力も弱っているわけです。 …

京都祇園の宵

私の履歴書・405 バブルがはじけたのが1991年早々。1992年度も我社では依然と業績は記録を更新していました。 .処が、1993年度早々から毎月の売上は昨年を割り出したのです。 . と言っても、これは予期していたこと。大手顧客が新年度には設…

京都の東山の坂道はきつい

私の履歴書20歳代編 補填記事 1968年(S43年私23歳)の7月のこと。 東映スタントマンの西川(仮称)君の要請は、人手が足りないから急遽祇園祭の還幸祭で馬に乗ってくれというものでした。 . . 参考)祇園祭りの全容 http://web.kyoto-inet.or.j…

この研修参加者の大半がその後役員に就任

私の履歴書・400 「後継者育成塾」(略称 NF塾)の第一回目研修は十三のホテルプラザオオサカで1月29日(木)~2月1日(土)の三泊四日でしたね。 (参考)私の履歴書・396 http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60831500.html . . 第二回目は同じ…

季節の変わり目に起きた火事騒ぎ

前二回は寒くなる記事という事でしたので、今度は暖かくなる記事にします。 と言っても、火事の話しですから暖かくなりますかどうか。 私の履歴書・404 本社着任二年目の季節の変わり目の時です。 恐らく秋のことだったと思います。 芥川女子が営業本部…