この研修参加者の大半がその後役員に就任
私の履歴書・400
「後継者育成塾」(略称 NF塾)の第一回目研修は十三のホテルプラザオオサカで1月29日(木)~2月1日(土)の三泊四日でしたね。
.
.
第二回目は同じ十三のホテルで、2月18日(火)~2月22日(土)四泊五日でした。
この二回は何れもバランスシートを主にした研修で、餅屋は餅屋。
歴戦の管理部門の彼等に敵(かな)うはずはありません。
私は研修仲間から冷たい視線を浴びました。ただでさえ堅物揃いの管理部門はラフな営業部門を蔑視しているのに。
処が、第三回目《3月11日(水)~3月13日(金)ニ泊三日》のフルサト工業㈱古里龍一社長とセーレン㈱川田達男社長への私の質問で一変したのです。
一躍、スターダムにのしあがってしまいました。
彼等にしてみれば、私の質問内容は全く想像出来ないものだったのでしょう。この研修の一年間は、妙にくすぐったい気分でしたね。
さて、この研修では、この研修に参加している仲間の社員の企業をも訪問しました。記憶にあるのは三社です。
無論この時も訪問先企業の社長との懇談会があったのですが、私の質問は平凡なものだったはずです。
皆さん、私がどんな質問をするのか固唾(かたず)をのんでいましたが、終わってからがっかりしていました。「水無瀬君、今日の君は借りてきた猫だったね」と。
この研修会に参加した社員の企業の社長の皆さんだけが一同に会することもあるので、よそさんの社長が「水無瀬という男はとんでもない質問をする」とうちの社長に言われることを恐れましたから。
小山栄一社長は、この研修(NF塾)の塾長でした。
.
次が、ローランド㈱の浜松工場でした。
当時この工場の一角に研究所があり、その研究員達と廊下ですれ違いました。流石でしたね。身なりと風貌は当に芸術家。
ローランドの音響機器はプロ好み。同じ浜松にあるヤマハの音響機器はどちらかといえばアマチャ好み。
極限の音を求める世界ですから徹夜は度々。身なりや風貌には無頓着。以前は髭ボウボウの乞食集団が社内を徘徊しているようなものだったそうです。
次に記憶にあるのが、㈱マンダム
新しい本社ビルが出来たと言うことで見学に行きました。記憶にあるのは、この社屋の白い会議室で西村社長との懇談会の画像だけ。
この研修に参加した㈱マンダムの社員(当時部長職)の後日談。
一年間の研修が終ってから一年弱後でしょうか。
皆が通天閣の近くの居酒屋の二階に集合しました。
そこでの酒を飲みながらの話です。
彼は、バブルの真最中、家を新築するのに自社の持ち株を全て売却しました。周囲の者からは 「あいつは何て奴だ!」 と罵倒されたそうです。
その売却金で5千万円の家を新築。余ったお金で自社の株を購入したら、売却前の株数以上になったそうです。
つまり、新築の自宅は、タダ同然になったのですから、笑いが止まりませんね。バブルがはじけ、株価が暴落したからこういうこともあるのです。
その彼は当時も海外担当で、中国やマレーシアでの現地合弁会社設立の為に年間の半分は東南アジア滞在出張でした。
それから数年後、㈱マンダムの彼は専務取締役になりました。
尚、ローランド㈱の彼も常務取締役になりました。
後継者育成塾(NF塾)の話しはここまで
参考)この研修に参加した塾生の大半は、その後、夫々の企業の取締役となりました。
参考)1991年の全国法人所得ランキング
マンダム 1700番台
フルサト工業 2000番台
ローランド 2100番台
ウズマサ(仮称) 2700番台