季節の変わり目に起きた火事騒ぎ
前二回は寒くなる記事という事でしたので、今度は暖かくなる記事にします。
と言っても、火事の話しですから暖かくなりますかどうか。
私の履歴書・404
本社着任二年目の季節の変わり目の時です。
恐らく秋のことだったと思います。
芥川女子が営業本部の事務所に駆け込んできて叫びました。
「水無瀬課長! 火事!火事よ!」
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駆けつけました。
600坪程のコンクリートを打った駐車場のような大型機器の仮置き場。
その端の廃棄物の種類ごとにコの字のブロック塀で囲われた一時保管場所。
その中の一つのブースに、取り外された機器梱包用木材がランダムに人の高さ程に積まれています。それが燃え始めていたのです。
誰かが消化器を持ってきて消化活動を始めたのですが、あっという間に消化器の粉末はなくなってしまいました。
私は社内の消化器のある場所が分からないので、集まってきた人たちに指示しました。「知っている場所から消化器を持って来い!」
皆、「おれは総務の消化器を」「じゃぁ、おれは倉庫の事務所」等と言って駆けて行き、瞬く間に消化器は10本ほど集まりました。
これだけあれば消えるだろうと思いましたね。
燃え始めたキャンプファイヤーのようなものでしたから。
全ての消化器で燃え上がってきた火元に向かって一斉に放射。
処が、火勢は全く衰えず。瞬時に消化器全ては空になりました。
驚きましたね。消化器って全く役に立たないなんて。
結局、消防車が来て水をかけて鎮火したのですから。
芥川女史の話しによると、本社工場では、ここ何十年、三年に一度、ボヤが起きているのだそうです。それも決まって季節の変わり目に。
以前私が本社に二度勤務していた時は、偶々その三年に一度の狭間でしたからボヤに遭遇しなかったのでした。
「誰が放火犯人かは見当がついているものの証拠がない」とは芥川女史の話し。
そのボヤ騒ぎを皆がすっかり忘れた頃のそれから三年後の昼食時でのこと。
部門会議で本社に来ていた別所君が私に会いにきたので、一緒に外の食堂に行こうとして偶々工場の木造二階建ての大きな古い倉庫の下を歩いていた時です。
この建物は、その昔、郵政省から払い下げてもらった明治時代のもの。
何故かその二階の窓から薄い煙が出ているのです。
立ち止まり見上げていますと、「パチパチ」という音が微かに聞こえます。
やがて、薄い煙と共に赤い炎がチラチラと窓から出だしたのです。
「これは火事!」
私は一目散に工場の事務所に駆けつけました。
「木造倉庫が火事だ! 早く通報して!」
以前の経験から炎が出たら消化器では全く役に立たないので即通報ですね。
「私は消防署に!」「119番だよ!」「それじゃ私は警察に!」「私は総務部に」
工場事務所に偶々いた三人が夫々に通報。
現場に戻ると、続々と社員が集まってきます。
社内放送したからです。
工場の社員達も腕組みをしながら見ています。
当に傍観者。
その中には工場長もいます。
私は絶叫しました。
「何をしているのだ! 一階の機器を外に出さんか!」
ナッパ服の50人ほどが一斉に前のめりになり倉庫に向かって走り出しました。
5分ちょっとで消防車が到着しました。
何故か早かったですね。
二階からは「ポン!ポン!」と音がします。
そこに置いてあるコンプレッサーユニットが熱で破裂したようでした。
煙は二階の部屋全体を順次覆(おお)い、やがて炎が上りました。
周囲を取り囲む野次馬社員はどんどんふくれていきます。
燃え盛る炎は竜巻となり、煙は遙か上空にまで舞い上がります。
その上空では報道陣のヘリコプターが旋回します。
私達は火事現場から100m離れるも、天空から燃えている板が降ってきました。
それにその場所でも輻射熱で熱く、じりじりと後ずさりしました。
鎮火したのは、火災発見から1時間以上経ってからでしょうか。
不思議なのは、その後の消防署の聴聞で第一発見者の私に聞きにこないのです。
私と一緒だった別所君や工場の社員には聞き取り調査をしたのですが。
何だか私が疑われているようで不快な思いでしたね。
それから年が明けて間も無く、工場の二人の社員が退職しました。
「これでもう火事は起きないでしょうね」 とは芥川女史のつぶやき。
やはりそうでしたね。以後、一度も火事騒ぎは起きなかったのです。
会社を退職した二人のうちの一人が問題だったのです。
然し、会社はこれでいいとして、その人の住居の周辺では三年に一度、ボヤ騒ぎが起きたかもしれませんね。
余談)
娘が高校を卒業して二年目から、梅雨が明けた頃、担任ではない病気で自宅待機中の高校教諭から変な電話がかってきました。これは数年間続きましたね。
季節の変わり目に異常になる人は結構いるでしょうね。