この世に未練を持つ故人はこの世をさ迷う

 
 
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            私の履歴書・402

前回の記事では、駿河大納言忠長の自刃の場面が現われましたね。
以下、その後日談です。
 
 
 

その朝、支店長の松山君(仮称)がホテルまで迎えに来ました。
 
私は恐る恐る昨夜から今朝までの話をしたのですが、松山君は驚きもせず 「あのホテルは以前から幽霊が出るとのうわさがあるんだ。やっぱりそうか。今回は他のホテルが満室で、あそこしか空いていなかったんだ」 と軽く言うではありませんか。
 
 
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私はそれ以降、高崎に行く都度、高崎駅近くの大信寺にある駿河大納言忠長の墓(五輪塔)に参拝しました。
 
(参考)大信寺http://www.daishinji.com/history.html
(注)左の画像は高崎市公式サイトより借用

 
尚、約一年後でしょうか。晴天の日、大信寺の住職に京都の土産物羊羹「京観世」を持参し、上記の件を報告しましたが単にうなずくだけでした。
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私はあのホテルへの宿泊はこの時の一度だけで、その後の高崎出張では他のホテルに宿泊するも、忠長は現われませんでした。
 
やはりそのホテルにだけ現われるのでしょうか。
それとも私への切腹現場の映像提示で満足したのでしょうか。
逆に失望したのでしょうか。
 
尚、歴史には忠長の幾つかの乱行が記されていますが、私の見解としては、家光が忠長を切腹させる理由として、ねつ造した逸話と思われます。
 
特に病弱で凡才の兄・家光に対して弟の忠長は利発でしたから、弟・忠長が三代将軍になる可能性が強かったのです。
処が春日局の策略により、家光が三代将軍になったのです。
 
家光は三代将軍就任にも拘らず、忠長に強烈な嫉妬と劣等感を抱いていた故に忠長憎しは当然ですが、忠長は自分の地位を脅かす存在だったのでしょうね。
 
 
それと、もう一つの問題。
それは忠長の切腹する場面です。
 
彼は酒を飲み、二人の童女に酒と肴をとりに行かせ下がらせ、その間に短刀で頸の半ばを刺し貫いて自害して果てたことになっていますが、そうではありませんね。
 
私に見せた映像は、白装束をした忠長が甲冑武者の介錯人により首をはねられた内容でしたね。尚、この甲冑武者は家光の側用人阿部重次でしょう。
 
これらのことが無念の元かもしれませんね。
 
更にこの映像でのもう一つの問題があります。
忠長の正室・松孝院殿は、その後、鎌倉の薬王寺に夫の墓を建立しています。
 
では一体白装束で忠長の右隣に座っていた女性は誰かということです。
大信寺の過去帳では忠長側妾で院殿がついている人が3人ぐらいいるとのことですから、恐らくそのうちの一人ではないかと思われます。
 
即ち、忠長は、駿河から蟄居甲府へ、更に逼塞で高崎城内に幽門されましたが、彼は何れ殺されることを予期した故に正室・松孝院殿の身を案じ、何れかの時からか松孝院殿を随行させなかったのではないでしょうか。
 
注)蟄居(ちっきょ) 自宅や一定の場所に閉じ込めて謹慎させたもの
注)逼塞(ひっそく) 門を閉じて昼間の出入りを禁じたもの
 
注)忠長の自刃は寛永10年12月6日で28歳の時。
注)忠長の正室(妻)松孝院殿は、7つ年下で織田信雄(信長の次男)の孫娘 本名 織田昌子
参考)忠長に関する記事
 
余談1)
営業本部でこの忠長の話を偶々していましたら、あの高崎のホテルに泊まったことがある同僚が三人いまして、三人ともに気味が悪かったとのことでした。
 
その中の一人、家光君の場合は、ホテルの浴槽に浸かっていた時、突然、浴槽が真っ赤になったそうです。見ると自分の鼻から鮮血がボタボタ落ちているのです。
 
十代でもあるまいし、四十代前半の彼には鼻血の出る原因は見当たらず。
それに何故か浴槽の中で身動きがとれない。
 
 
隣室に宿泊している同僚の声が聞こえるので、浴槽の中から浴室の壁をドンドン叩きながら「助けてくれ!」と叫ぶも応答なし。
 
手を伸ばし、辛うじて浴室の非常用呼び出しボタンを押すも、これも応答なし。
生きた心地がしなかったそうです。
 
それにしても、その時間帯、隣室の同僚は既にテレビを消して寝ていたとのことですから、聞こえた声は誰のものだったのでしょうか。注)このホテルはマンション仕様。
 
 
余談2)
それから数年後、松山君は高崎から本社の総務課長として転勤してきました。
立食パーテーの時の彼の高崎での体験談です。
 
松山君は単身赴任で高崎支店に赴任。
偶々家賃が相場よりも極端に安い一軒家を借りたそうです。
 
四年間の勤務が終ってそこから荷物を運び出し、隣近所に挨拶回りをしました。
その時、近所の奥様方に言われたそうです。
 
「あの家によく住まわれましたね」
「何かあるのですか?」
「あの家は女の幽霊が出るとの噂で、ここ何年も借り手がいなかったのですよ」
 
彼は笑いながら言いましたね。
「そういえば、帰宅したらいつも部屋はほんのりと暖かく、まるで若い女性が私を待っていてくれているような感じがしたものです。それに、いつも誰かと一緒に住んでいる雰囲気でしたね。単身でしたから寂しくなく、寧ろ有り難かったですよ」
 
 
余談3)
この高崎でのことがあってから半年後でしょうか。
東京出張の時に皆が常宿としている新宿厚生年金会館の裏手のビジネスホテルの9階(?)の部屋で幽霊が出ると騒いでいました。
 
その部屋は他よりも広く、結構見晴らしの良い部屋です。
私は敢えてそこに宿泊し、消灯してから目を閉じ、光点を追いました。
 
やはりいました。
突然画面が変わり、遠く、市谷付近で立っている人が小さく見えました。
 
春霞が漂うぼやけた映像でしたが、ネクタイに背広姿。
年配のジェントルマン。時代は、昭和の初めですね。
市谷近辺で亡くなったのか、それとも市谷に強い思いを抱いていた故人でしょうね。
 
                             この項はこれでおしまい



(追記)
※ 2016年8月11日、大信寺の駿河大納言忠長の五輪塔をを20年ぶりに訪れました。下記URLはその時の記事です。

『未ださまよう駿河大納言忠長』  2016.09.28