高崎のホテルでの怪奇な一夜

 
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               私の履歴書・401

以前、天満宮菅原道真公の霊魂の事を述べましたが、今回は駿河大納言忠長の霊魂との遭遇です。
  
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駿河大納言忠長とは、徳川家三代目将軍徳川家光の弟。
兄・家光よりも才覚があり、家光の存在を脅かします。 
 
跡目三代目将軍を巡って家光を春日の局がバックアップした結果、家光が三代目将軍となり、弟・忠長は駿河城主から、一転、高崎で幽門され、切腹します。
 
忠長はこの世に強い未練や恨みを残し自刃したものと思われます。
あの世の忠長が私に高崎での自刃の様子をテレパシーで再現してくれました。
 
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話しは、1992年(H4)6月12日(金)、高崎支店に出張した時のことです。当時の支店長は松山君。(仮称)
彼が予約してくれたホテルが高崎駅前の△第二ホテル。

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その日、高崎駅に新幹線最終pm11時台に着いた時には駅舎の外の街灯は消え、薄暗い駅前は褐色の肌のイラン人達のコミュニケーションの広場と化していました。
 
そこを通り過ぎて、目前のホテルに入りました。
チェックインし、エレベーターに乗るもその中は真っ暗。
 
降りた六階(多分)の廊下も真っ暗。手探りで部屋に入りました。
構造はどうやらマンションを転用したもので2LDK
 
入浴後いざ就寝しようとしましたが何故か薄暗い駅広場でのイラン人が気になり、駅側の上げ下げ式窓の施錠を確認しました。

窓の外にはベランダはありません。
真下を見ると地面までは10mは優に有りましたからほっとしました。
 
ベッドはリビングを含め各部屋に一つずつありましたが敢えてリビングのベッドに寝て消灯したにも拘らず明るいのです。

非常灯が点いていたのです。そこで
椅子を踏み台にしてバスタオル二枚で非常灯を覆うも未だ薄明るい。
 
寝つきが悪かったですね。
東京からの1時間の車中で一眠りしたせいでしょうか。
 
そこで枕に顔を埋め、うつ伏せになりました。
(この首から上を枕に乗せた頭の在り方が亡霊を呼んでしまうのだが)
 
退屈なので目を閉じたままで、まぶたにちらつく無数の微かな光点を追いました。眠れない時、羊が何匹を数える代わりに光点を数える私のいつもの癖です。
 
参考)私の履歴書・299 羊を数えても眠れない
 
 
イメージ 2突然!です。
 
うつ伏せなのに、何故真後ろが見えるのだ!
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見えるのです。
後ろに見えるは雛壇の男と女です。
 
左のお殿様は巻纓冠(けんえいかん)右の奥方の髪はお雛様の日本髪に似て、両者共、白装束で座っています。
 
うす暗く二人の顔は見えません。
左傍に立っている鎧の武者の顔も見えません。

私は夢を見ているのか?いや、そうじゃない。私は覚醒しているのだ。
ほれ、この通り、眼も開けられる。
 
だが、何か恐ろしいことになりそうで動けません。
一瞬そこで気を失いました。

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 気が付くと御座(ござ)が目の前。
     然も御座が斜め??
     御座の編目が見える。
     御座には血が付いている。
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ひょっとして私は打ち首。
その首が斜めに切られ御座の上に落ちたが傾いて立ったのだ!
 
どんどん気が遠くなりました。
血液が脳に回らない。血が抜けていく。

どんどん気が遠くなる。
あ~、女房に、子供に、母に、何か言い残したいことが有る。
 
言わなきゃ。でも思考回路が働かない。
どんどん働かなくなる。気が遠くなる。

それから何時間経ったのでしょうか。うつ伏せのまま目覚めました。
だが依然人の気配がします。
 
薄暗い中、後ろが見え続けます。
何と甲冑武者が私の左肘の横に立っているではありませんか。
 
何者? 私の死を確認しているのかも。
そのまま!そのまま!そのままの姿勢で幾時間が経過したことやら。

動けません。動いたら私も殺される。
そのまま、そのまま。
 
またまた気を失いました。

そして再度目覚めます。
でも真横に依然人の気配がします。
動いたら駄目だ!このまま!じっと!

そして暫らく。どの位時間が経過したでしょうか。
朝が近くなったようです。
 
突如、甲冑武者がカッカッカッカッと足音を立てて私の傍から離れ、甲冑の擦れる音を立てながら去って行きます。
 
そして駅側の施錠したはずの6階のガラス窓をガガーと開けて出て行きました。
私は目を伏せたまま動けず。またまた気を失ってしまいました。

つづく
 
参考)続きは下記URL