京都の東山の坂道はきつい

 
 
イメージ 3
 
 
   私の履歴書20歳代編 補填記事
 
1968年(S43年私23歳)の7月のこと。
 
東映スタントマンの西川(仮称)君の要請は、人手が足りないから急遽祇園祭還幸祭で馬に乗ってくれというものでした。
.
.
参考)祇園祭りの全容
参考)私の履歴書・78 スタントマン西川君
 
当時、祇園祭って、宵山と17日の山鉾巡行だけと思っていましたが、それは祇園祭りの一部に過ぎなかったのです。
 
注)祇園祭には、毎年7月24日の昼には「祇園祭 花笠巡行」があります。
同日夕方からは「祇園祭 還幸祭」で、3基の神輿が四条の御旅所を出て氏子町内をまわり午後10時ごろ八坂神社へ帰ります。
 
祇園祭 花笠巡行」
 
 
 
そういえば私は一度も京都の祭りに参加したことが無い。
意欲は充分にあるのだが、私の乗馬経験というと、中学1年の時、同級生の家で飼っている裸馬に麻袋をかけてそれに二人乗りを数度しただけ。 
 
彼は馬上で手綱を引き、私は後ろで彼の腰にしがみつく。
その姿勢で本荘の街中をパカンパカンと駆けましたね。
 
つまり、私は馬の手綱を引いたことは一度も無いのです。
そこで、西川君には一番おとなしい馬を回してくれるように頼みました。
 
イメージ 4
 
 さて、その還幸祭当日夕方、冠と装束で身を整えた私に手綱が渡されました。
 
鞍にまたがり、両脚で馬の腹をギュッと圧迫後、手綱を緩めるも動かず。
 注)当時は、馬の引き手はいませんでした。
 
エンジンがかからない車のようなもの。
これから一体全体どうなるのだろうか。
.
と、前の馬が動き始めたら、その後を歩むじゃありませんか。
 
イメージ 5
 
それから、コンチキチンの各町内を巡っていきます。
 
注)右の図が巡行路。(京都新聞より)
 
恐らく、この赤い線が私の歩んだ道。
この距離、結構あります。
 
 
途中、停止する都度お神酒を充分にいただいて。時にはスイカをがぶり。
 
行列はゆっくりと各町内の路地を進む。
もう、陽が落ちていましたね。
 
前の馬が歩むとこちらも歩む。
前が停まればこちらも停まる。
手綱を引こうが緩めようが全く関係が無い。
 
警官が立ちはだかって私の馬を停めようとするも停まらない。
ひたすら前の馬の後ろを歩む。
 
完全に馬に馬鹿にされていましたね。
その都度、苦笑。
 
四条通を進んでいる時、「こら、にやけるな!」との声。
歩道の観客で同年代の可愛い女の子とデート中の彼から叱咤激励の声?
 
 イメージ 1
 
祇園石段下・八坂神社西桜門前に来た時には、もう午後11時を回っていました。
 
祇園交差点の東大路を南に150m下がってから神社の南側の真っ暗な坂道を東に登り始める。
 
馬が「フウフウ」と息を吐き、前に進まず。
 
 
イメージ 2
 
「水無瀬君、降りて馬を引いてやって」
 
そうでした。この老馬さん、何せ6時間も私を乗せていたから余力は無い。
 
降りて馬を引く私も街中で冷酒を飲みすぎているから、このなだらかな坂の何ときつくて長いこと。
 .
.
八坂神社の南桜門を左に見て、更に中村楼の長い塀沿いの坂を上る。
 
私の馬だけは数歩進んでは休憩。また数歩進んでは休憩。
円山公園に置いてある馬運車までの真っ暗な坂道は何と長かったことか!