京都祇園の宵

 
 
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    私の履歴書・405
 
バブルがはじけたのが1991年早々。1992年度も我社では依然と業績は記録を更新していました。
 
.処が、1993年度早々から毎月の売上は昨年を割り出したのです。
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と言っても、これは予期していたこと。大手顧客が新年度には設備投資を控えることを知らされていましたから。
 
 管理部門から全社の営業部門に対してのお達し。
「経費節減。接待交際費は半減せよ」
 
当時の接待交際費の半分以上の使途は、社内身内同士の飲食でした。そこで営業本部でも、接待交際費を半減しました。
 
それまで仕事が過酷で胃が痛いと称し、毎朝、医者の薬を何十錠も飲んでいた吉田本部長の胃痛がピタリと止みました。
 
当然ですね。それまでの彼の胃痛の原因は神経性ではなく、連日午前様でしたから不規則生活とアルコールによる胃荒れ。それが、ほぼまともな生活に戻ったのですから胃も正常になったのでした。
 
以後、祇園(甲部・東)・先斗町に行く回数は減りました。
と言っても、月に何度かは、こじつけて祇園に行きました。
 
然し、あれから約20年。
 
昨今の街情報を見ると、祇園(甲部・東)のお茶屋さんを廃業されたところもありますし、ナイトクラブ・バー・スナックの大半は消えています。
 
消えた店に共通しているのが、当時笑顔の素敵な女将さんがいるところです。実はこの笑顔というものは曲者(くせもの)。そもそもは作り笑いですから。
 
「目は口ほどに物を言い」「目は心の窓」等と言われるように、問題は瞳の光。私の場合、入店すると必ず女将さん(お母さん・ママ)の瞳を見ます。
 
だから溢れんばかりの笑顔でも「今日は御機嫌だ」「昨日は何かあったな」等と瞳の光の相違で分かります。これは誤魔化しようがないです。
 
 
お茶屋の女将さん姉妹の例
 
ある花街のお茶屋さんは、40歳代の姉妹できりもりしていました。ここのホームバーは一見さんお断りでも結構流行っていたそうです。
 
この姉妹は、笑顔が素晴らしいから当然と言えば当然。私がここに初めてきたのは、ある大企業の方に連れられてです。
 
彼女等の私達客への笑顔は同じでも、個々に対しての瞳の光が違いました。これじゃ、接待交際費では飲みにきても、個人が身銭を切っては来ないだろうと思いました。
 
それから十数年も経つと、かっては素敵な形だけの笑顔は「他人を見下した薄ら笑い」となりますから顧客離れが進む恐れがあります。
 
具体的例としては煙草を700円に値上げすると言った大臣がその典型でしょう。 案の定、このお茶屋さんは看板を降ろしていました。 
 
逆に、面白いことには、現存している店の女将さん達の中には、笑顔の無い一種の褪(さ)めた視線の持ち主が何名かいます。
 
でも、初対面の時は「何と高慢チキな女将」と見えるのですが、時間の経過とともに喜怒哀楽を表さない女将に趣が出てくるのは不思議なことでした。
 
其れ故か、何年経とうがこのような女将さんの顔をはっきりと思い出せるのです。
反して、笑顔の素敵な女将さんの顔は思い出せてもぼやけて不鮮明です。
 
それらの女将の店の共通していることは、他と比較して結構静かなことです。やはり顧客はあの涼しい瞳と出会うと大声を出し難いのでしょう。
 
無粋な顧客は無意識のうちに変身するか、或いは自然淘汰されているのです。これが俗世間の景気はどうであれ、根強い個人ファンに支えられている元でしょう。
 
このような店に顧客や友人・妻を連れて行くと、後日の言葉はほぼ同じです。「あれが祇園情緒なのですね。最初は緊張しましたが落ち着きました」と。更に「是非もう一度誘って下さい」と。
 
祇園の宵、客に対してしみじみとした情感と静かな安らぎの場を提供することが、永続する秘訣の一つかもしれません。
 
                                   つづく
 
参考)
祇園の宵 お茶屋「福嶋」さん
 
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祗園花見小路のお茶屋<福嶋>。通りから一歩中に入ると、庭のある静かな空間が広がります。外の喧噪をよそにホッとひと息。祗園歌舞練場の建てものが借景になっています。夕暮れて、芸妓<まめ鈴>さんが奏でる篠笛。観光客や夕涼みの散歩で賑わう祗園小路に、何時もと違った音色がこぼれていきます。お茶屋の外灯・堤燈・店先に仄かにこぼれる灯りそして月あかり・・・夏の夜の祗園情緒です。
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 左の画像は、福嶋さんの花見小路に面した玄関。一見(いちげん)さんお断り。
 
この一見さんお断りが、福嶋の情緒を維持している元です。
 
福嶋さんのホームバーの出入り口は、裏手の狭い路地の木戸。
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この木戸をくぐり、中庭を横切ったらホームバーのドアです。
 
当時は、路地に灯りは一つも無く真っ暗。目を凝らしながら木戸を開けたものです。
 
感動するのは、座敷やホームバーから観る静かに雪の舞いおりる二月の夜の中庭です。
 

(追記)


祇園)しびれた石塀小路・Tintoのロック 2011/10/23(日)