40歳代後半からはまった競馬


古いUSBメモリを開いたら、書きかけのものがありましたので、それを書き直して掲載します。

この書きかけは、下記の続編です。
私の履歴書・407 本社のアフターファイブとは麻雀  2011/12/1(木) 



(続編)
さて、私の方はそれ以降パカパカ(競馬)にはまりました。
20歳代前半に琵琶湖競艇をやっていましたからすんなりと入れたのです。

当時は、馬連と枠で、ワイド、馬単・三連複・三連単はありませんでした。

私のやり始め当時は、栗東の坂道調教で早い時計を出している穴馬から総流しが基本コンセプトでした。処が、それで狙った穴馬は三着か掲示板にも載らず。トホホの連続でした。

穴馬の複勝を買おうとすると、競馬の先輩諸氏が、それは邪道だと言うのです。
ですから、複勝を賭けるわけにはいかなかったのです。

トホホに輪をかけたのは、今でも鮮明に思い出すことが出来ます。
それは、小雨の降る土曜日でした。

大阪支店で9時開催の近畿エリア会議に出席。
出席者は近畿の所長・課長クラスが40名程。

私の営業企画部方針を席上で述べるのは午後で、無論原稿は出来ていますから、各所長の報告などは全く聞いていませんでした。

それよりも、前夜結論を出したその日のメインレースの超穴馬からの予想を、会議中のテーブルの上でA4コピー紙に書いたのですが不安になりました。

そこで、膝に予想紙を小さく広げ、再度うつむきながら検討をしました。
どういう訳か、当初の超穴馬からではなく、本命馬からの流しに書き直したのです。

それを昼時間、本社メンテナンス本部にFAX送信。
馬券購入を依頼しました。魔が差したのでね。

結果は、私の当初の超穴馬が一着で本命馬は着外。
最初の見立て通りでしたら、2万円馬券をゲット出来たのに。トホホでした。

前夜、色々な選択肢の中からこれぞと思った穴馬。然し、会議中などでやってはいけない競馬の検討等、おどおどした精神的不安定な状況で再検討をしたのですから、ろくな結果とはならないのは寧ろ当然ですね。

そうは思っても、土曜日に開催される会議や展示会などでは、スキあらば物陰に隠れてこっそりと競馬新聞を広げましたね。はまって狂いました。

この頃、大きな馬券をゲット(当てる)出来たのは、函館競馬でです。
1995年8月26日(土曜日)函館11レース 『シーサイドオープン』で、馬番6から@500円づつ5点を流し、他方、本命の馬番2からも5点流しました。

土曜休日のガランとした200坪超の事務所の扉から息を切らしながら走って入ってきたのが競馬の先輩であるメンテナンス本部の社員二名。

「水無瀬さん、大穴ですよ」
彼らは、駐車場の車の中で、競馬実況放送のラジオを聴いていたのです。

結果、私、馬連6-8で払戻金は、66360円/100×500円⇒計33万1500円ゲット。昼食時に淀競馬場までチャリンコで馬券を買いに行ってもらった社員には4万円の礼金をあげました。


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(参考)

神の当たり馬券の黙示の仕方(1)2007/2/21(水) 
1996年4月7日桜花賞 ナスと柿

当たり馬券の夢のお告げ(1) 2007/2/22(木)

当たり馬券の夢のお告げ(2) 2007/2/28(水) 

当たり馬券の夢のお告げ(3) 2007/2/28(水)