北海道の社員の給与問題

 
それから二年後(2010年)、又々斉木君から電話が来て会いました。その時の彼は会社の早期退職斡旋を機会に会社を辞めていました。
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(前回記事)誰も務まらなかった仙台支店長
 
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(参考)斉木君の旭川所長時代の稚内攻略
 
私の履歴書・ 333  壊滅的稚内エリアの攻略の序から、339 まで。
下記URLはその目次です。
 
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彼は辞めた理由などを色々話した後、昔の話となりました。
 
私が札幌営業所を離れた1991年度から北海道では外資系企業の攻勢に対抗し、LL社がそれまでの二倍の投資をした結果、札幌営業所の受注も倍になった訳です。
 
無論、私の後任の福知所長の業績評価は格段と上がりました。
 
但し、福知所長の札幌在任中に行ったことは、当時の斉木君のボヤキの言葉を借りると、『ミーテグや支所会議、道内会議で、単に数字を挙げよと叫ぶだけ』。
 
大半を札幌営業所内で過ごし、顧客開発や道内出張は無し。
時間がくれば夜のすすきのにお出かけ。
 
(注)私の履歴書・391 将来、企業の破綻を招く縁故人事
 
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1993年、吉田専務の指示で私が札幌営業所指導の為に道内会議に行った時、あるメンテナンス担当社員が話してくれたこと。
 
「水無瀬課長、あの福知所長、とんでもない男ですよ。着任早々、私の行きつけのバーに連れて行けと言うので、連れていったら、ホステス数名に名刺を渡し、『お金が必要な場合、僕に抱かれたら三万円あげる』と言うのですよ。僕の顔は丸つぶれ」
 
「それでどうなったの?」
 
「子持ちのバツイチのホステスが、子供の保育料を期日まで払えないので・・・・・・・・」 
                       (中略)
 
更に、
「夜、福知所長に用事があり、福知所長のマンションに行ったら、玄関に女性の真っ赤なハイヒールはあるし、部屋の畳には女性の長い髪の毛が何本もあるし、あれは相当女性を連れ込んでいるようでした」
 
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これと同様なことをこの高槻の居酒屋で斉木君が言いました。
 
福知所長が私(水無瀬)の札幌での行きつけの飲み屋に連れていけというので札幌クラブハイツに度々連れて行ったら、ホステスに対し名刺を渡し、ここでは二万円!二万円!と連呼していたとの由。

(注)私の履歴書・302 女性社員が楽しんだ札幌クラブハイツ
私の履歴書・303  有能な女性社員教育の場 『札幌クラブハイツ』
私の履歴書・301 札幌クラブハイツに行った契機 

それを聞いて私は、顔に泥を塗られたような思いでした。
 
私 「福知所長の札幌着任当時一番心配したのは世子と亜子の操だよ」
斉木「分かりませんよ。何しろあの所長のことですから」
 
そう言って彼はにやりと笑いながら私の顔を覗きました。
 
斉木「水無瀬さんが札幌を去って、二年も経たないうちに二人共会社を辞めました。」

私 「そもそも福知所長は陰で『女性営業員不要』といきまいていたから、二人共居心地が悪かったのかも。何しろ結構二人共やり手だったから福知所長の言うことなどは聞かなかったろう。」

斉木「確かにLL社担当として彼女達は実績を挙げることができましたがそれ以外では女性は駄目ですよ。」
 
私は苦笑しました。それは指導の問題。斉木君もどうやら女性営業員世子と亜子の二人が気に食わない。
 
当時、魚住君や他の営業マンも同じく私の女性営業員二名優遇策をにぎにぎしく思っているのは分かっていました。
 
それが私の手でした。
この頃、彼等は密かにコンプレックスを抱いたかもしれません。
 
目標に対しての突進力では女性の方が遥かに優れていますから、女性営業員の行動と実績を彼等のお手本にさせたのです。
 
私は斉木君に改めて言いました。
「然し、あんなどうしようもない男でも吉田専務の義理の弟だからつとまっているが、そうで無かったら首ものだね」
 
その時、彼は向き直って意外な言葉を発しました。
 
斉木 「私は福知所長に感謝しているのです」
私  「それは意外な! それまたどうして?」
斉木 「給料を上げてもらったのです」
私  「幾ら?」
斉木 「10万円もですよ。基本給を」
私  「いつから?」
斉木 「福知所長が着任後、三年目からです」
私  「営業所が支店昇格になった時からだね」
斉木 「そうです。それに森口係長からも呼ばれて、ワシが君の給料を上げてやると耳打ちされましたから森口係長にも感謝しています」
私  「ほぉ~、そうでしたか。それでですか、成る程」
 
実は、私の札幌着任時以降、特に由紀さんを事務員として採用するとき本社との軋轢が始まったのでした。
 
私が札幌着任までは、北海道は子会社。
その子会社が業績不振で解散。
新たに㈱ウズマサ札幌営業所を新設。
その初代所長として私が着任。
 
給与体系は、本社が子会社当時のものを引き継ぐとしたもの。
故に、由紀さんの給与は本州よりも5万円は安いものでした。
 
私は仙台支店松島総務課長にお願いをして、本社総務部と管理部を動かしてくれるように依頼し続けました。
 
だが、子会社時代、本社管理部から子会社役員として順次出向した3名の北海道の評価は最悪でした。
 
それもそうです。彼等全員、北海道で業績を上げる事が出来ない理由を、働かずに理屈だけをこねる道民性にあると叫んでいたのです。自分の無能はさておいて。
 
故に、管理部の連中は北海道人を㈱ウズマサ本体の決算書を悪くする危険分子と思っていたのです。
 
この状況では北海道の社員の給与体系を本州と同じくするシナリオは、北海道で収支を合わしてからでないとまな板に乗せることが出来ない。
 
ここが苦しいところでした。
ただでさへ業績不振で解散した子会社。
 
(注)私の履歴書230 誰も再建出来なかった北海道の歴史
 
その市場を私が受け継いだからと言って直ぐに収支を合わせられるものでないことは誰の目から見ても明らか。
 
太秦社長の私への命題は、「販売では経営が成り立たないから、メンテナンスを軸として経営基盤を築くこと。」
 
それ程までに、北海道での販売を絶望視していたのです。
 
私が社長の意向に反して、メンテナンスではなく販売で北海道を立て直すことに転じたのが、1987年1月着任から半年後の6月のこと。
 
(注)私の履歴書 277 明日になっても直らないもの

こういう意見を言う人もいました。
 
「水無瀬所長、社員の給与を上げるとコストアップになる。果たしてそれで北海道の経営は出来るのかね? 赤字経営だと水無瀬所長のボーナスにも影響するだろうし、奥さんが何と言うやら」
 
㈱ウズマサの営業管理職のボーナス査定は厳しいものでした。
 
各期ごとの決算で査定され、赤字ならボーナスは通常の半分以下。
逆に大幅黒字ですと通常の2倍のボーナスなど。
 
例えば、本州並に給与を上げた場合、社員一人当たり少なくても月間6万円、ボーナス込では年間100万円のアップとなります。
 
実際のコストは、この2.7倍前後でしたから、270万円のコストアップ。
社員30名の場合は、年間8100万円のコストアップとなるのです。
  
「分かりました。北海道全体で黒字にしますから、その時は社員の給与を本州と同じ体系にして下さい」
 
私の北海道での戦いは、北海道の社員の給与を本州並みにする目的でもありました。
 
それから4年後、私が北海道を去る頃には収支が採れる段階に達していた故に、本社に転勤してから私のオクターブは一段と上がりました。
 
そこで吉田専務のみならず、総務部長、管理部長などにも働きかけましたが埒(らち)があきません。
 
しびれを切らした私は社長に直談判。
 
私「給与の事実を北海道の社員が知ったらストライキが起きます」
社長「吉田専務と福知所長とよく話し合ってくれ」
 
私「今まで何度も言ってきたのですが」
社長「では、吉田専務を呼んでくれ」
 
そこで私は社長と吉田専務との会談の結果に期待しました。
 
社長室から出てきた吉田専務は、私を本部長室に呼び、「水無瀬課長、この件は君にとっては管轄外だから以後一切口を出さないように。何しろ福知所長から給与に関しての申請は一度も無いから」
 
「それでは福知所長から申請があったら検討するという事ですか?」
「そういう事だ」
 
そこで福知所長に社員の給与改訂稟議書作成を要請するも無言。
何度も要請するも無言が続きました。
 
それもそうなのです。
北海道の給与体系は安い故、コストが低くて済む。
収支が合わせ易いから黒字を出し易い。
結果、ボーナスは年間で100万円は違うだろうし、毎月の所長手当額が違ってくる。その上、昇給の額も異なる。
 
彼は社員の給与を上げる気はなかったのです。
 
福知所長の在任三年目、支店昇格に併せて社員の給与が本州並みに引き上げられたのは、吉田専務が札幌総務森口係長に北海道の社員の昇給稟議書を書くように指示したからでした。
 
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このことをこの席で斉木君に伝えようと思いましたが止めました。
 
彼は会社を退職したばかり。
昔の話より、これからのことが重要なはず。
 
ましてや札幌に残してきた妻と未だ学生の子がおり、以前からの取引先への再就職先があるとは言え不安定な立場。
 
恐らく修羅場が待ち受けているだろうこれからの人生を、この件は知らずに過ごした方がいいだろうと思いましてね。



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