私の履歴書 40歳代 広島常務編 目次

 
    【私の履歴書 40歳代 広島常務編 目次】
 
1985年(昭和60) 営業本部係長だった私に下された転勤命令。
それは、4月1日付けで新設する『中国ウズマサ・メンテナンス㈱』(仮称)での常務取締役に。
 
但し、常務の私、課長、係長、一般社員2名の計5名でスタート。
一年後には、課長と主任を『関西ウズマサ・メンテナンス』に返さなければならない。
 
私がどのようにして、事業の基礎を創ったかの実話です。
 
          目次 
 
No.202 ちっちゃな新設会社の常務取締役に》

No.203 無手勝流での新会社経営の序》

No.204 他人の言葉を鵜呑みにしてしまった私》

No.205 広島での採用一号には、眉間に傷》
^^^^^募集広告を出しても誰も来ず。縁故で募集。その第一号は?

No.206 採用二人目は、神童の瞳の若者》
広島県の山の中・庄原市の商店の小母さんに頼まれた息子さんが第二号。

No.207 会社の赤字を防ぐには妻に期待》
兵力数不足を補う為に、妻にカタログ持参で商店を訪問依頼。

No.208 人は、契機で大きく変わる》

No.209 ビー・バップ・ハイスクール」全盛時代に育った社員達》

No.210 当時の教員の子の精神的労苦》
^^^^^『1+1=2』が全てと躾けられた教員の子。

No.211 戦略を知ると部下は豹変した》
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No.212 頼もしく成長していく社員達とシステムの改革》
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No.213 意識的に時期を逸した稟議決裁》
例え身内でも、すんなりと人を成功はさせない世の中。
 
No.214 迷わずリスクに挑戦! 道は開けるか?》
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No.215 スポイラーが空中に舞い上がる》
倉橋・江田島の若者達。
 
No.216 窮鼠、敵陣に乗り込むしか路は無し》
身内よりも、敵方の方が理論的で然も冷静なる判断。
 
No.217 ライバル社に乗り込んだ私》
敵方の応接まで囲まれてピンチ。
 
No.218 ライバル社からの受注》
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No.219  一つを落としたら次も落ちて来る》
敵方が落ちたら、身内も落ちる。順序が逆なのが世の常。
 
No.220 頑張る社員の巻 村主君の場合は》
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No.221 夫の背中を押し続けた奥さん》
中学出の父親の背中を見て育った息子。現役で阪大合格。
 
No.222 門前の小僧となった妻》
囲碁に才能が無かった子供達。連れて行っていた妻の方が囲碁を覚える。
 
No.223 コソ泥はハイエナに変身》
こすい人間は、幾つになってもこすい。
 
No.224 皆、「がんばる! がんばる!」》
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No.225 校歌を歌う社員旅行》
高校時代、停学をくらった連中の社員旅行は、修学旅行に変身しました。
 
No.226 広島の街の香り》
バイクで御幸橋を渡ると磯の香り。
 
No.227 順調に推移すると待つ落とし穴》
「しまって行こう」とは、好調の時こその言葉。
 
No.228 ガードが甘くなってドボンへの道に》
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後期広島時代に三枚しかない写真
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以下は、次の札幌編とラップします。
 
 
私の履歴書229 突然の北海道転勤要請
 
私の履歴書230 誰も再建出来なかった北海道の歴史
 
私の履歴書231 四面楚歌の北の大地?
 
私の履歴書232 緊急呼び出し!札幌で何が起きたのか?
 
私の履歴書233 誓詞血判状に驚いたら私の負け
 
私の履歴書234 無情な時の経過
 
私の履歴書235 未だ見ぬ北海道はピンクに輝く
 
私の履歴書236 バラ色に見えてきた北海道
 
私の履歴書237 札幌すすきのの夜の素晴らしさ
 
私の履歴書238 益々美しく見える掃き溜めの鶴
 
私の履歴書239 益々輝く北の大地
 
私の履歴書240 ドタバタだった広島の最後の週

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