私の履歴書40代広島編 目次

私の履歴書 40歳代 広島常務編 目次

【私の履歴書 40歳代 広島常務編 目次】 1985年(昭和60) 営業本部係長だった私に下された転勤命令。 それは、4月1日付けで新設する『中国ウズマサ・メンテナンス㈱』(仮称)での常務取締役に。 但し、常務の私、課長、係長、一般社員2名の計5名でスター…

ガードが甘くなってドボンへの道に

久々に先日購入した週刊誌は、薄っぺらなもの。 ほとんど広告が掲載されていない。 これ程までか!と思いましたね。 . 成る程、各民放テレビ局があせっているはず。 広告=金を出してくれる企業や組織は、神様仏様! . 視聴者の一般市民は金にはなりませんか…

順調に推移すると待つ落とし穴

. 前回のあらすじ) . 50ccバイクで広島の街の匂いを楽しみましたね。 . インコとの長旅に、藤木君の素敵な彼女の話。 . . 今回は、大失敗の前夜の状況です。 上手く行き過ぎましたからね。 私の履歴書・227 1986年春、 私のウズマサ㈱本社係長時代の部下だ…

広島の街の香り

国家公務員法第百条違反の検察のリークを、そのまま流すマスコミ。 とある筋からの情報と詐称して、検察の言うウソでもお構いなし。 . 事ある度に「容疑者が、こう話しているようです」の連続。 外界から遮断された塀の向こうの人が言ったことをマスコミは何…

校歌を歌う社員旅行

. . 前回のあらすじ . 休日出勤に、「三国志」「プレー・ボール」のマンガを読ませました。 皆、がんばる!がんばる!でしたね。 . それと、私のポケットマネーが焼肉代で消えた話。 私の履歴書・225 今回は、秋の社員旅行のお話。 1986年10月下旬でしょうね…

皆、「がんばる! がんばる!」

. 前回のあらすじ . 岡山での土地探しと、コソドロが今度はハゲタカになった話でしたね。 私の履歴書・224 時代はメンテナンス365日対応へ。 我社(CMU)も土曜日と日曜日にメンテナンス受付並びに対応。 事務所には休日二人出勤。 一人がクレームの電話を受…

コソ泥はハイエナに変身

寒い日が続き、室温20℃を切りますと、白文鳥のピピは、チョンチョン歩いてきて足元で鳴きます。 ファンヒーターをもっと強く燃やせ!って。 . さて、 前回のあらすじ . スーパー・マリオで徹夜の我等。 & 「門前の小僧 習わぬ経を読む」でしたね。 私の履歴…

門前の小僧となった妻

. . 前回のあらすじ . 篠原主任夫婦とそのお子さんの成果の話でした。 . . 今回は、広島時代の我家のこと。 私の履歴書・222 《スーパーマリオで徹夜》 広島着任の年の1985年9月 任天堂ファミコン・スーパーマリオが発売されました。 超人気でまともには買え…

夫の背中を押し続けた奥さん

. 前回のあらすじ . 睡眠時間と給料の半分を捧げてきた村主社員。 . その文化祭も終わり、いよいよ村主社員は電気機器の技能士試験受験の為に深夜の勉強でした。 . 今回は、その上司の話です。 私の履歴書・221 篠原主任の場合 年齢:1985年当時43歳。学歴:…

頑張る社員の巻 村主君の場合は

前回のあらすじ . 難関SD社からの受注成功により、S電機からの受注へ。 . ユニック付き新車を購入。 . 事業は拡大していきました。 . 今回は、電機関係の技能試験に関した二人の社員の奮闘の巻です。 私の履歴書・220 先ずは、村主社員(仮称)の場合から。 …

一つを落としたら次も落ちて来ました

. 前回のあらすじ . 諦めかけたライバルSD社から仕事を受注。 . 最初の仕事を通じて、SD社の信頼を得る事が出来ました。 尚、申し送れましたが、この頃、太秦電機㈱はCIを行い、社名を㈱ウズマサに変更していました。 以下、㈱ウズマサと称します。 私の履歴…

諦めかけたライバル社からの受注

. . 新年明けましておめでとう御座います。 . 今回の記事が《私の履歴書》の今年の第一号ですね。 . 今年も相変わらずのご愛読の程、宜しくお願い致します。 さて、前回のあらすじ ライバルSD社広島支店の応接室に乗り込んだ私は、敵対する営業マン二十数名…

ライバル社に乗り込んだ私。どう乗り切るか?

前回のあらすじ . ユニック車を購入した故に四面楚歌。 背水の陣の私。ライバル会社を初回訪問しました。 . 面談してくれたのが本郷業務課長。 東京からの転勤族でした。 . 訪問目的を説明。 次の面談は数日後の午後6時半。 指定された日時に、SD社を再訪し…

追い詰められた私は敵陣に行くしか路は無し

前回のあらすじ . 新たな仕事も無いのに新車の4tユニック(クレーン)付トラックを購入。 . 江田島で、若者と接触事故。 . スポイラーが宙に舞う。 . 依然として空しい日々が続きました。 私の履歴書・216 1986年春 お客さんの引越し手伝いに借り出されまし…

スポイラーが空中に舞い上がる

(前回のあらすじ) 新たな仕事の受注が不可能になってから、購入許可が下りる。 今更、何と言う連中!! にも拘らず、5段ユニック付き4tトラックを購入。 前に進むしか道は開けず。 但し、運転できるのは私だけ。 私の履歴書・215 1986年春 私一人で4tユニ…

迷わずリスクに挑戦! 道は開けるか?

ダッチロールの鳩ポッポ。 従来は、霞ヶ関の言いなりですから迷うことは皆無。 昨今のあれやこれやの事態は当然。それにしても、全ての民を満足させるなんて不可能。 それにしてもお人好しではリーダーは務まらない。冷酷さを持ち合わせていなきゃ。余談でし…

さてどうするか?意識的に時期を逸した稟議決裁

前回のあらすじ。 . 「営業マン連中(四大卒)に私達は負けません」 . 高校時代、つっぱりで停学処分に追試経験のあるメンテナンスマンの彼等は、そう私に宣言。 . 彼等の成長には驚かされました。 . 対して、私の方は、事業拡大に努力するも、前が見えず。 …

頼もしく成長していく社員達とシステムの改革

営業の重要性を、昨今程、思い知らされることはありませんね。 メーカーや生産者は、売れて何ぼの世界ですからね。 . では、弁護士・公認会計士・税理士・一級建築士・プログラマー・SEなどの現状はどうでしょうか。 . 昨今、年収200万円未満の弁護士や仕事…

戦略を知ると部下は豹変しました

. 戦略教育とは素晴らしいものですね。 . 知らず知らずの内に部下が豹変しました。 視点が違えば、見えない物が見えてくるのですね。 . それはまるで三国志での軍師・単福(徐庶)を得た劉備玄徳。 負け続けの玄徳は、単福の戦略で、曹仁軍2万5千を僅か2千の…

当時の教員の子の精神的労苦

. 若者と面接をし、採否を決めるのは難しい事ですね。 . その人の一生を左右しますから。 . 更に、採用してから如何に育てて行くのか。 . 人、夫々育った環境や学んだ事が違いますから。 私の履歴書・210 1985年初秋 電話が掛かって来ました。 「社員募集の…

「ビー・バップ・ハイスクール」全盛時代に高校生だった彼等

・ 私の二十代前半に付き合った友人達の中には色々な人がいましたね。 . その中で、特に印象深いのは西川君と北井君。 . 高校時代の問題児の彼等の心に共通しているのは「純」でした。 . 彼等との友好体験が、40歳になってから役に立ちました。 . 注)登場人…

人は、このような契機で大きく変わるのでした

中国メンテナンス太秦㈱の事業コンセプトは、 『食料品小売業の顧客満足から喜びへ』 . 「メンテナンスを入り口に、顧客(小売業)のハード的問題を我社が全て解決する。次段階として新たな小売業態の提案」 というものでした。 . . その序として、店舗の冷…

会社の赤字を防ぐには妻に頼むしかなかった!

1985年4月1日、それまで営業係長だった私は、突然、新設した広島のメンテナンス会社の常務取締役に。 . 常勤者は、私と部下四名の計5人。 . と言っても、その内の二名を元の会社に返さなければならない。 . 私の責務とは、5年後、200名の社員とそれに資する…

採用二人目は、神童の瞳をした若者でした

1978年4月、私の最初の広島着任の時の辰巳所長。 当時、いつもいつもぼやくこと。 . 広島の旧市内は、自然災害の無い街で温暖。 明日の生活の心配は無い。だから労働意欲に欠ける。 . 反して、島根の人は、明日の為の蓄えをしなきゃ、厳しい冬を過ごせない。…

広島での採用一号には、眉間に傷

. 1985年(昭和60年)4月1日 . 私、新設の中国メンテナンス太秦㈱常務取締役として着任。 . この辺の記憶は、全く無い。 . この日の為の祝賀会の場所、来賓の宿泊ホテル、料理メニュー、などの手配で多忙だった事は確か。 私の履歴書・205 我等の事務所は、…

私を誹謗してきた男の言葉を鵜呑みにしてしまった私

. 今回のみ、時計を1985年から一気に1998年に回します。 . 昨日、銀閣寺道近くの寺前さんのお墓参りに行って来ました。後日にと思いましたが、忘れないうちに書き留めておきたいですから。尚、次回からは元の1985年(昭和60年)春に時計を戻します。 私の履…

無手勝流での新会社経営の序

. 私、営業本部FF営業部係長。 . 突然の辞令は、新会社の常務取締役。 . たった3人のメンバー。 . 私の責務は、五年後に社員200名の陣容に。 . 然も、各単年度、赤字は赦されず。 注)「私の履歴書」に登場する会社名や人名は、全て仮称です。 私の履歴書・2…

やっと管理職に。然もちっちゃな新設会社の常務取締役に

今回のNO.202から新しい書庫にしました。 「私の履歴書 40歳代編」 ですね。 . しかし、随分と書いてきたものです。 何年がかりですからね。 元気でボケない内に、ここまで書けた事は本当に幸せです。 . さて、人生の中で経験を基に体力で勝負出来るのが40歳…