無手勝流での新会社経営の序

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私、営業本部FF営業部係長。
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突然の辞令は、新会社の常務取締役。
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たった3人のメンバー。
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私の責務は、五年後に社員200名の陣容に。
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然も、各単年度、赤字は赦されず。


注)「私の履歴書」に登場する会社名や人名は、全て仮称です。

私の履歴書・203

1985年2月21日

翌日の広島への転勤の了解で社長室をお伺いした時にも、グループ会社管理室の池内室長が呼ばれました。

私の転勤の形態は、出向ではなく、子会社への転属であること。
過去の絆を切る意味。その他の諸事項の説明の後のこと。

室長 「水無瀬君、君の給料、随分安かったのだね」
私 「寺前課長にもそう言われました。青葉部長の東京支店長時代の三年間はひどかったですからね。
確か、毎年他の人が3万円アップの時に私の場合は6千円~1万2千円だったと思います」

室長 「よくまあこの給料で生活が出来たもの。お子さん、二人でしょう」
私 「これでも、上げてもらったのですよ。上げてもらいましたのは田上東京支店長時代の一年間と寺前課長の二年間ですね」

室長 「今の給料は、15万4千円。今度の新会社での水無瀬君の給料は24万7千円ですね」
私 「そんな9万円も一気にあげてもらえるのですか! 有難う御座います」

社長 「水無瀬君、喜んでもらったら困る! 今後は自分の会社。自分の報酬は自分で決めることだ!」 
私 「自分で決めて良いのですか?」

社長 「お~! 利益を出したら当然だよ」
室長 「本社の給料規定外になりますからね」

社長 「幾らでも構わんよ。但し、逆もあるぞ!」
私 「有難う御座います。そうさせていただきます。但し、太秦社長の額面は上回らないようにしますけど」
社長 「あはは! 私の額面を超えても構わんぞ!水無瀬君!」


社長室を出まして自分の席に戻り、ひと段落してから社内の挨拶回りです。
寺前課長の水先案内で。

取締役から始まり、各部署へ。足を伸ばして本社工場へ。
「君が? どうして?」と驚く者が結構いましたね。

佐山専務取締役(元営業本部長)
「水無瀬君の人事は、社長が単独で決めたことだから」 と白け鳥。

際立った違いを見せたのが、銀行からの出向者達でした。
SW銀行の部長は、当たり障りのない対応をしてくれました。
DK銀行の部長は、何か私に敵意を感じているような上目使いと言葉使い。
成る程、巷の噂通りDKの中でも関西育ちには品格が無い。

反してTK銀行の取締役は、流石。トヨタで鍛えられたジェントルマン。
明るく励ましてくれましたね。

翌日は、寺前課長と同行にて取引先への転勤挨拶訪問。
後、三日間程で営業本部FF営業部の引継ぎ書作成。

全てを済ませてからグループ会社管理室に入りました。
ここには池内室長の下に、管理部出身の吉備課長がいました。

彼は、九州メンテナンス太秦㈱を創った時に、管理部署から出向。
取締役部長として指揮を執りました。

現場無視の数字だけの世界で経営しようとしましたから、現場の逆襲に遭い退散。
その時の失敗談を聴かせてもらいました。

どうやら、管理部門からの新設会社の経営には限界がありそうです。
岡田課長も、札幌の子会社に取締役部長として出向したものの、現場が反乱蜂起。失敗しました。


五年間の事業計画書作成の為に、各地のメンテナンス子会社を訪問。
現状調査と質疑応答をしました。

関東メンテナンス太秦㈱の社長は、けげんそうに私を見下ろしました。
それもそうですね。業界の老舗企業を誇り、勝負をかけた分野外のある製品を大量に製造。

だが、販売不振で在庫過多。資金繰りに詰って倒産の前歴。
プライドの高さは保持していましたね。

ここには、洋ちゃんが部長職でいました。
彼には色々と実情を教えてもらいました。

福岡市の九州メンテナンス太秦㈱に行きましたのが3月下旬の夕刻。
これから、本体・太秦電機㈱福岡支店との合同花見を公園ですると言うのです。

太秦電機㈱福岡支店の支店長は辰巳支店長。かって広島で三年弱私の上司。
徒歩十数分程で公園のような場所へ。昔の広島営業所と違って全員ほぼ指定時刻に集合。

珍しく花冷えではなく、生暖かく無風。桜の花の香りが甘い。
春高楼の花の宴。扇子片手に平安貴族になったような錯覚。


その翌日、福岡の事務所に補修パーツの電子ユニットを持って来たのが藤川君。当時27歳。
大手電子機器制御ユニットメーカーの修理下請け工場の工場長。

彼の仕事は70名のパート小母ちゃん工員の指導監督。
眼は細く鼻筋はきりりと通って高い。

何かをやり遂げれる男。
彼を何とかしてスカウトしなきゃ!


他方、広島の住居は、辞令が下りた早々に広島に行き探しました。
前回広島赴任での轍(てつ)を踏む訳にはいきません。

一軒屋ではありませんが、タイミング良く新築アパートが3月末に完成という事でそこに決めました。
二階建ての一階・2LDK。西向き。前回の西旭町に近い翠町。


五年間の事業計画書の方は、作成して太秦社長に提出するのですが当然NG。
再々書き直して提出してもNG。

こうなったら、意地比べ。
簡単に各年度の決算数字を出来るかどうか分からない黒字にするわけにはいきません。

遂に3月末が近づき、時間切れ。
と言うよりも時間切れにしたと言うのが本当の話。

各年度を黒字にしたいのが山々。
だが、経営数字とは、願望数字ではない。


そして、いよいよ親子四人、新幹線で広島へ。トンネルをくぐったと思ったら又トンネル。
責務を果たせるかどうかは不明。

五年間の事業計画書は何度も書き直し頭に残っているはず。
なのだが、新幹線に乗って関西を離れたら、もう頭には無い。

広島で何をどうしたら良いのか、全く分からない!
頭は真っ白。

着任してみなきゃ分からない!
好きなようにやるだけ!
やるだけの事はやるさ!

結果はどうであれ、殺されはしないだろう!