頑張る社員の巻 村主君の場合は

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前回のあらすじ
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難関SD社からの受注成功により、S電機からの受注へ。
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ユニック付き新車を購入。
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事業は拡大していきました。
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今回は、電機関係の技能試験に関した二人の社員の奮闘の巻です。

私の履歴書・220

先ずは、村主社員(仮称)の場合から。
注) 年齢:当時23歳。学歴:定時制高校卒。

話を着任直後の1985年(昭和60年)の夏の頃に戻します。
新人・眉間の傷・村主社員がこう言ってきました。

「私の仕事は納品作業です。私にもメンテナンスの仕事をさせて下さい」

私は言いました。
「分かりました。技能士の学科試験があります。それを受けて下さい」

「その試験をパスしなきゃ駄目なのですか?」

「そうです。世間は何の資格を持っているかで判断されます。あなたは我社が全てと考えるのは間違いです。我社の明日は分かりません。我社がどうなろうと、何処ででも生きられる社員を創るのが私のポリシーですから」

その頃の村主社員、彼の毎月の薄給の約半分を彼の属する宗教団体への寄付。
他方、電々公社の倉庫に激突し廃車にした新車のローンが未だほぼ全額残っているのにこれも払って。

秋、藤川君と私とは流川で飲んで午前様。

事務所二階の彼等の宿舎に上っていきますと、村主君の部屋の電気だけが点いています。
こたつに入ったまま、本の上にうつ伏せで眠っていました。

その本をよく見ますと、中学校の理科の教科書でした。
仕事が終ってから復習していたのですね。


明けて1986年早々からの村主社員、

この年の秋に行われる宗教団体主催・第6回世界青年平和文化祭(場所、広島)の準備の為、仕事が終ってから出かけ、夜明け前の午前4時頃までお手伝い。

彼の睡眠時間は、毎日2~3時間。

宗教活動に異論をはさまないのですが問題は睡眠時間。
夏場なんかは、睡眠時間不足の場合、居眠り運転となる。

早く帰宅し眠るようにと諭したのですが、皆が居るから離れられないと言う。
彼の好きな可愛い女の子も一緒ですから無理も無いですね。

彼には運転させないようにしたのですが。
ドスンと衝突事故を起しました。
でも、運よく物損事故だけで済みました。

10月の宗教団体主催の文化祭も終ってからは平常に戻りました。


後、午前様で二階に上っていった時も一つの部屋だけが点灯。
またまた村主君の部屋。

またまた、こたつでうつ伏せ。
今度は、高校の物理の教科書と技能士試験の問題集の上にでした。

頑張る! 頑張る! でしたね。