順調に推移すると待つ落とし穴

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前回のあらすじ)
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50ccバイクで広島の街の匂いを楽しみましたね。
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インコとの長旅に、藤木君の素敵な彼女の話。
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今回は、大失敗の前夜の状況です。
上手く行き過ぎましたからね。

私の履歴書・227

1986年春、

私のウズマサ㈱本社係長時代の部下だった大林主任が、ウズマサ㈱広島営業所の係長として転勤してきました。

そこで、小橋所長は、賠償金で買った家に大林係長家族を住まわせたのです。
きっちりと家賃をとって。

当時、<沼田⇔中広>間の広島高速4号線(広島西風新都線)や広島高速交通アストラムセンも無い時代。
通勤ラッシュ時に、佐伯区の山の上の団地から己斐(こい)峠を下りてくるのがどんなに難儀か。

朝の車通勤で早くて50分。雨がちょっと降りましたら1時間半~2時間。
雪が降りましたら、ストップ。

己斐(こい)峠の坂は、けっこうきついですから。
案の定、彼には、まともな出勤は不可能でした。

尚、彼は、昔の好(よしみ)で、何やかやと私を応援してくれました。
彼の家族と私の家族で、ドライブ&ハイキングもしました。


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五月の連休に、急遽、秋田から母が広島に遊びに来ました。
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せっかくだから道後温泉へ行こうとなりましたが、ホテルは空いているはずはありません。
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ようやくキャンセルで一部屋だけ空いているホテルが見つかりまして出かけました。

ラッキーでしたね。
ホテルの一軒一軒に、二日がかりで電話をした甲斐がありました。

広島・宇品港から松山観光港迄1時間。
当時は、高速艇ではなく、水中翼船でしたね。

子供達の夏休みには、ウズマサ㈱広島営業所の広藤主任と辻井主任家族に誘いを受け、三家族で似の島にフェリーで渡り、バーベキュー。

船に乗る子供達って、本当に楽しそうでしたね。
船上の子供達って、毎回、明るく輝くのですから。

お盆休みでは、我家の毎年の行事、私の田舎と妻の田舎の両方に里帰り。
毎年、夏のボーナスは、家族四人の飛行機代で消えました。

子供達にとって一番社会勉強になったのは、広島への二度の転勤でしょうね。
一旦は別れた人達と、再度巡り合う。

人と人との関わりを学んだこと。
人と人との絆を体験したこと。

こうして、貧しいながらも、家庭も仕事も順調に推移していきました。

今年度決算は、大幅な黒字決算の見込み。
社員並びに私の基本給も大幅アップできることを期して。


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然し、夏の終わりに見た怖い夢。
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自分の足元の土が崩れ去っていく!
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この時は、自分の身分が変わる予知夢とは毛頭思いませんでしたね。
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気がついていたら、リスクを冒さなかったのに!