広島での採用一号には、眉間に傷

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1985年(昭和60年)4月1日
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私、新設の中国メンテナンス太秦㈱常務取締役として着任。
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この辺の記憶は、全く無い。
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この日の為の祝賀会の場所、来賓の宿泊ホテル、料理メニュー、などの手配で多忙だった事は確か。


私の履歴書・205

我等の事務所は、太秦電機㈱広島営業所事務所の片隅に間借り。
広島営業所の所長が例の泥棒指示者の小橋。
彼は、お嬢さんを亡くしていましたね。

私の席は、普通の事務机に安物の事務椅子。
何しろ資本金三百万円の貧乏会社。

私の机の右手に、関西メンテナンス太秦㈱の相場課長(43歳)と赤城主任(26歳)。
左手に、元広島営業所所属の篠原主任(43歳)と田辺主任(28歳)。

40歳直前の私を含めて計5名。
車両は、マツダバン三台にボロボロのパワーゲート車一台。

S電機㈱広島営業所では和泉係長が課長に昇進していました。
彼とは、毎月、流川の居酒屋で一杯やることを復活しました。

早速、和泉課長に紹介してもらったのがS電機㈱物流倉庫業務部瀬戸課長
ここはS電機山陽地区業務の総元締。ここで仕事を取れたら少なくとも4人は増員できる。

そうこうしている内に、4月第一金曜日のメンテナンスグループ小会社6社の役員会。
場所は太秦電機㈱本社中庭会議室。楕円テーブル。正面に太秦社長。

トントントンと全6社の報告と太秦社長のサジェスチョン。
合わせて40分で終り。いつも通りだそうです。

処が、次月から、40分が三時間~四時間になるのです。
原因は、想像出来ますね。原因は私。

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さて、会社を200人規模にするには、課長・係長クラスのリーダーが40人は必要。
この人材を早急に確保しなければならない。
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しかし、職安に行くも絶望。若手がいない。
それではと人員確保の為に、中国新聞や就職情報誌に募集広告。
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相場課長の言う通り、二回掲載しましたが応募者ゼロ。
これじゃ駄目だ。こうなったら、縁故に頼るしかない。
部下にとにもかくにも行く先々で募集の声をかけるようにと依頼。

関係先の配送業務をしている旦那の義弟が、ブラブラ遊んでいると言う。
姉さんである奥さんが困って、何とかお願いしたいと言う話。

「よし! 直ぐに面接しよう!」 
私の方こそ藁(わら)をも掴む思いでした。

ポカポカ陽気の午後でしたね。指定時間は、午後一時。
流石、広島市内人。きっちり10分遅れて会社に来ました。

正面のガラスドアを開けて入って来た男の足下は、何とセッタ(雪駄)。
片手には松葉杖。然も、左手腕はギブス。首から包帯で釣っている。

結婚式の新郎ならともかく、普段、セッタを履くのはややこしい世界。
更に足元。包帯の巻かれた足首でペタ!ペタ!と歩み来る。ミイラ男に成り損ない。

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更に更に顔を見て!!
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「眉間(みけん)に冴える三日月形、天下御免の向こう傷、人呼んで、旗本退屈男
「知らざぁ~言って聞かせやしょう!~~弁天小僧菊之助たぁ、おれがことだ」
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この二人が顔負けしてしまう。
何しろ、眉間左から斜め右下方に5cm程の刃物傷跡。

流石広島!『仁義なき戦い』の街。ドンパチ出入りは日常茶飯事かも。
それにしても、予想外の人種が面接に来たもの。

背は小柄。顔はにやけている。
椅子に座りました。

「成る程、君の姉さんが頭を抱えているはず。何の出入りがあったんだい?」
「喧嘩じゃありません」
「それじゃぁ、なんじゃ、その恰好は?」
「可部(広島市内北部地域の地名)の電々公社の倉庫の扉に突っ込んだのです」
「飲酒運転だろう?」
「エヘヘ、そうです」
「その眉間の傷は?」
「フロントガラスでやられました」
「腕と足は、その時にか?」
「今週、包帯がとれます」
「同乗者は?」
「いません」
「それは良かった」
「でも、車は軽四ですがペッチャンコになりました」
「あっはは!」
「買って未だ六ヶ月。ローンが何年も残っているのに廃車ですよ」

「彼女はいるのか?」
「いません」
「好きな女性はいるのか?」
「エヘヘ、います。一人ですが」
「何人もいたら大変だ。可愛いのか?」
「可愛いですよぉ~」 と顔を赤らめる。
「君が彼女を好きだと言う事を彼女は知っているのか?」
「うう~ん、多分」
「告白していないのか」
「よう言えません」

「あはは、そんなもんだ。よし!分かった! 君を採用しよう!」
「あのう、履歴書は?」
「あ~、置いて行って。後で見ておくから」

可部からの通勤では、出勤に自信が無いという。
事務所二階の独身寮に入る事にしました。一週間後から。

彼が席を立とうとした時、ふと聞きました。
「処で、高校時代の数学と物理の成績はどうだった?」
「済みません。ご想像通りです」
「分かった、分かった。そんなもんだ。高校時代の数学・物理の教科書は必ず持ってくるように」
「分かりました。宜しくお願いします」

彼が去った後、妙に笑いがこみ上げてきました。
面接に同席していた相場課長が言いました。

「大丈夫ですか? あの男で」
「ああいう男の方が、結構仕事が出来るもんだ」
「決めるのは常務ですから、私は何も言いません」


この眉間に傷のある男が、私採用の輝かしい第一号となりました。
名前は、村主君(すぐり 仮称)当時24歳。