嵯峨野 宝筐院(ほうきょういん)の紅葉

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嵐山渡月橋から北上しますと、天龍寺を過ぎ、山陰本線の踏み切りを越え、猶も北上しますと、突き当たるのが清涼寺。ここまではいいお天気。(写真 上)
このお寺の道路を挟んだ西側に宝筐院(ほうきょういん)(写真 下)


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この宝筐院は、楠木 正行(くすのき まさつら)と、室町幕府の二代将軍足利義詮(あしかが・よしあきら)の菩提所。
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尚、左の写真は、帰りしな撮ったもので、この時はもう当分日差しは期待出来ない程の雲りでした。
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門から入りますと、紅葉の庭が続きます。


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楠木 正行と言いますと、我が町の「JR島本駅」隣接・西国街道の「桜井の駅(櫻井の驛)」で交わされたという、楠木正成・正行父子の今生の別れで有名ですね。


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正平三年・貞和四年(1348)正月、正行は四条畷の合戦で高師直の率いる北朝の大軍と戦って討ち死(23歳)
彼は、先に住吉浜にて足利方を打ち破った際に敗走して摂津国・渡部橋に溺れる敵兵を助け、手当をし衣服を与えて敵陣へ送り帰したと言われます。

黙庵は彼の首級を生前の交誼により善入寺に葬りました。後に、この話を黙庵から聞いた義詮は、正行の人柄を褒め称え、自分もその傍らに葬るよう頼んだといいます。
楠木正行は敵将ですから、その傍らとは、将軍足利義詮も大した男ですね。



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右の五輪塔は、楠木 正行(くすのき まさつら)の首塚
左の三層石塔は、室町幕府の二代将軍足利義詮(あしかが・よしあきら)の墓。


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それにしても、この院に入って間も無く、雲がしっかりと出て来ましたね。
せっかく来たのだからと、雲の切れ間を待ちましたら30分の時も。
1時間はたっぷりと、この庭に立たせていただきましたよ。

尚、ここを出てからは、清滝に行きました。