やっと管理職に。然もちっちゃな新設会社の常務取締役に

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今回のNO.202から新しい書庫にしました。
私の履歴書 40歳代編」 ですね。
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しかし、随分と書いてきたものです。
何年がかりですからね。
元気でボケない内に、ここまで書けた事は本当に幸せです。
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さて、人生の中で経験を基に体力で勝負出来るのが40歳代前半。
私の40歳代とは、どんなものだったのでしょうか。
確かな事は、他の人とは大きく違うことですね。

私の履歴書・202

1985年(昭和60年)2月20日 39歳と9ヶ月

上司の寺前課長が深刻な顔をして社長室から帰って来ました。
そして私を応接室に呼ぶのです。当時の私は営業本部FF営業部係長。

課長は言いました。
「おめでとう! 君も明日21日付けで管理職だ!」
「管理職って?」
「今度、広島にメンテナンス会社を設立するので君が初代責任者だ!」
「責任者と言いますと?」
「広島での新設会社の常務取締役だ!」
「誰が社長ですか?」
「青葉部長だ!」
「よりによって何という男を私の上役の社長にもってくるのですか!」
「名前だけだよ。実権は君が握ることになる」

「新年度は、新たな事に挑戦出来ると思っていたのに」
「あとは、私が引き継ぐ。心配するな。それに陰ながら応援するから」

応接室のドアがノックされ、社長秘書が入って来ました。
「寺前課長と水無瀬係長、太秦社長(仮称)がお呼びです」

寺前課長の後に従って社長室へ。広さは20坪(66㎡)ほど。
社長室の応接セットに座りました。

「水無瀬君、君にはメンテナンスの新会社をやってもらう。
場所は広島。当初の資本金は三百万円。設立日は4月1日」

グループ会社管理室の池内室長が呼ばれ、彼が概略を説明しました。

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現在、広島営業所に駐在しているメンテナンス要員は4名。
彼らの所属は、子会社の関西メンテナンス太秦㈱広島(仮称)
広島だけの年商は3,600万円。収支はトントン。

尚、この内の2名は、本来関西メンテナンス㈱要員。
この2名を半年以内に関西に返してもらう。
拠って、残るは2名。
つまり、(私と合わせて)ベースは3名ということになる。

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池内室長の話が終ると、一呼吸置いて太秦社長。
「君の任務は、5年後に社員200名の陣容とすること。
但し、年次決算の収支は合わす事。
言い換えれば、初年度から赤字は赦さんと言う事だ」

「初年度からですか?」
「そうだ。収支を合わせながら君が新分野を開発して事業規模の拡大を為す」

続けて
「関西・関東・中部・九州と四つのメンテナンス会社を創ってきたが、今回、初めて営業部門からメンテナンスの責任者を選んだのだよ。
君で成功したら、営業部門からのメンテナンス責任者への登用を今後も図るから頑張ってくれたまえ」

更に
「君を、このポジションに登用するに当って、全取締役と部長職の全員が反対したのだよ。
それを押し切って、私が君を選んだ。そうだね、寺前さん」

「仰る通りです、太秦社長。 そういう伏線があるから水無瀬君、責任重大ですよ。
と言っても、君なら太秦社長のご期待に副えるはず」

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寺前課長は、太秦社長より二歳年上。
故に、太秦社長は、寺前課長を「さん」付けで呼ぶのです。
それと、寺前課長が太秦社長に囲碁の手ほどきをした関係もあります。
余談ですが、太秦社長は、寺前課長から囲碁の手ほどきを受けた後十年間、プロ棋士から指導を受け、前年日本棋院から六段の免状を授受。
我等の陰口は「社長は、金で六段の免状を買った!」

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「分かりました。広島でご期待に副うようにと言うよりも、ご期待に副います。
ですから、お願いが御座います」
「何だい?」
「今後、メッタヤタラと稟議書を書かせていただきますから、すんなりと決裁印を押して下さいますよう、お願い致します」
「あはは、基本的には分かった! 池内室長と青葉君には充分納得の出来る説明をしておくことだね」
「青葉部長にもですか?」
「青葉君は形だけにしても、名目上では、君の上役で社長職だよ」
「分かりました。どうしようも無い時は、太秦社長に直接稟議書を持参します」
四月一日までは、君の所属は総務部付参事。この一ヶ月間で、池内室長の許で新会社の事業計画書を作成してくれ給え。五年間のだ」

更に
「広島に行く事について、君の奥さんに相談しなきゃならないでしょう。
この件についての正式な君の返事は、明日、直接、私の部屋に来て聞かせてくれ」
「広島は、二度目ですので、妻も子供達も喜ぶでしょう」

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この時に、突然、脳裏にあの日の夢での出来事がよみがえりましたね。
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私の守護神は、私に「広島に行け!と命じている」のか、それとも「未来を教えてくれた」のでしょうか。←ここをクリック
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翌朝一番、社長室をノックして、広島行きの了解を社長に伝えた事は当然ですね。