門前の小僧となった妻

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前回のあらすじ
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篠原主任夫婦とそのお子さんの成果の話でした。
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今回は、広島時代の我家のこと。

私の履歴書・222

スーパーマリオで徹夜》

広島着任の年の1985年9月
任天堂ファミコンスーパーマリオが発売されました。

超人気でまともには買えません。
予約を入れまして、入手したのが10月(?)だったと思います。

会社の帰りに予約していた店に寄り、それを受け取り帰宅。
午後10時半頃、二人の子供は寝ていました。

午前0時を回って床に入る前、「開けてみようか」と言う事になりました。
そっと開封して、電源を入れ、試しにゲームをやり始めました。

妻と交互に。処がなかなか前に進めない! 
ドボンの都度、再度!再度!再度!

時計の針は、どんどん進みます。
結局、一睡もせず、仕事に出かけました。

その日、子供達は学校から帰ってきて直ぐにゲーム。
嬉々とする子供達にとって、妻はアドバイザー。

但し、二日間だけですが。



囲碁クラブでの門前の小僧》

広島に来る前の住居は、大阪府高槻市
そこでは、娘を幼稚園の時からJR高槻駅前の「楫野(かじの)囲碁教室」に通わせていました。

1985年春、広島に来てからも囲碁教室(バス停竹屋町)に通わせました。
高槻の碁会所には、幼稚園と小学生計5人いたのですが、広島では爺ばっかり。

そこでは我が娘、石を取られたら泣くのだそうです。
泣く程でしたら、その悔しさをバネに精進するのかと思いきや、不変。

同じ碁会所に幼稚園児の息子も通わせました。
同じ現象でした。

実は、その後の赴任先の札幌でも、二人を通わせたのです。
「道新文化センター囲碁教室(成田先生)」(大通り西三丁目)へ。

札幌に行った早々、子供達に妻の言った言葉
囲碁教室に行くと友達が沢山出来るよ」

しかし、子供達の言葉
「友達なんて - - - - 、おじちゃんばっかりじゃないか!」

結局、囲碁教室通いは挫折。ここがゴルフの石川遼君との違いですね。
我が子二人には囲碁の才能が無いと諦めました。

他方、二人の子供の付き添いをしていた妻は、囲碁を覚えてしまったのです。
そして札幌から再度高槻市に帰ってきてから、妻が高槻駅前の同じ碁会所に通うようになったのです。

「門前の小僧 習わぬ経を読む」ですね。