人は、このような契機で大きく変わるのでした

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中国メンテナンス太秦㈱の事業コンセプトは、
『食料品小売業の顧客満足から喜びへ』
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「メンテナンスを入り口に、顧客(小売業)のハード的問題を我社が全て解決する。次段階として新たな小売業態の提案」 というものでした。
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その序として、店舗の冷凍・冷蔵設備のメンテナンスは無論の事、バックヤード・レジ・家電製品・電気・ガス・水道・電球の交換までのメンテナンスですね。

私の履歴書・208

1985年夏

間も無く相場課長が当初の約束通り関西メンテナンス太秦㈱に帰りました。
それまで相場課長には、技術指導の他に精神的にも結構頼っていたのです。

赤城主任も帰る予定でしたが、そうなりますと残るは技術力と経験不足の者達だけになります。
関西メンテナンス太秦㈱管野社長にお願いし、関西帰還を何とか半年引き伸ばしてもらいました。


さて、事業規模の拡大を図りながら5年後には社員200名規模にしなければなりません。
その為には、40名のリーダーを創らなければならない。

その第一陣となるべし彼等5名の現状とは。

篠原主任  43歳 中卒 太秦電機㈱社歴8年 元大工 出身 島根県
田辺社員  30歳 普通高校卒 太秦電機社歴8年   出身 広島市旧市内
新入社員・村主社員  24歳 定時制高校卒      出身 広島市可部
新入社員・沢木社員  23歳 普通高校卒       出身 広島市西区
新入社員・松川社員  21歳 工業高校卒    出身 広島県庄原市

かって営業本部で新卒を育成した翌年、二年生になった彼等に新たな新卒の教育を任せた時、
彼等は、前年私が彼等を指導した通りに新卒者を教育指導。

つまり、この五名は、近い将来、新人を教育指導する立場になった時、
私が教育指導した内容を真似て新人を教育することを意味する。

『教育指導』とは、代々伝わって行く可能性を持つものなのですね。

それでは、将来のリーダー育成の為に、今、することは何か。
メンテナンス会社でのリーダーとは、技術に長けている事は当然条件。

今後、入社してくる新入社員は、恐らく彼等より知的レベルは上位のはず。
と言っても、学問的分野での育成には時間がかかる。

では、限られた時間で私は何をするか? 何が良いのか?
彼等自らが、自らを育成しようとする原動力とは何か?

暗中模索でもんもんとしましたね。

子供達の遊んでいる姿を観て、ふと灯りが点りました。
自分は、今の自分に出来ることしか出来ない。

では自分で出来ることとは何か?

論語」と「キルケゴール」でしたね。

その中で彼等にとって今急務なこととは?
同居の太秦電機㈱の同じ年代の若手営業社員は全員四大卒。

反して彼等は中卒&高卒。
新人高卒4名は、全員、高校時代、停学と追試をくらった経験の持ち主。

どうして彼等に自信を持たすか? 
自ら成長しようとする意欲をどう惹起するか?

選択したのは実存主義の「キルケゴール」でした。

恐る恐る彼等に言い渡しました。
「毎週月曜日、朝7時半出勤せよ。8時15分までの45分間、講義をする。
私の都合で月曜日が駄目な場合は、木曜日に」 更に「時間外になるが、手当ては一切つかない」

15年経過していましたが、大学時代に購入した本(白水社)と、受講した時に書いたノートを探し出し、
話す順番を箇条書きにしました。 講義文原稿まで書く時間的余裕は無かったですね。

初回の朝、さて、全員が7時半に出勤してくれるかどうか不安でした。
うれしい事に、全員、時間通り、二階のミニ会議室に集まってくれました。

キルケゴールの「死に至る病」から始めました。

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「絶望して死ぬ事は、未だ絶望の段階では無い。なんとなれば、死を選択する心の余裕があったからこそ死ぬ事が出来た。絶望の極地とは、死ぬに死ねない状態である。絶望とは、死を死する」
              ★

もしも、彼等がコンプレックスを持っていたとしたならば、そのようなものは単に自己を慰める感傷。
絶望とは異質。

絶望の極限を知る事により、逆に、何らかの希望の幻影が見えてくるのを感じてくれたら成功ですね。

第一回目の講義の日のアフター5に彼等を焼肉屋に誘いました。
皆の眼差しには、何となく輝きが出てきたようでしたね。


生ビールを飲みながら彼等がお互いに指差しあいながら発する言葉。笑いました。
「君と言う人間は、誤謬(ごびゅう)の中に生きている」 注)誤謬(ごびゅう) 誤り 間違いの意味
「そういう、あんたこそ誤謬の中にいきている。だから彼女に逃げられたのだよ」


その後、この「死に至る病」の講義は、5回程ですね。
時には、朝7時半から9時半までの二時間。熱が入りましたからね。
無論、彼等の日常会話の中に、「死に至る病」の中のフレーズが多発。



次は、同じくキルケゴールの「現代批判」でした。

私の持っている一冊には「死に至る病」の他に、この「現代批判」も掲載されていたのです。
         注)「キルケゴール著作集 第11巻」 四六版 白水社

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要旨を原文の中から抜き出すと、

「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代で、たまに感激に燃え立つことがあっても、如才なく、すぐにもとの無感動におさまってしまう」

「革命の時代は情熱的であった。しかし現代は情熱のない反省的な時代である。直接的な情熱はしばしば間違いも犯す。しかし情熱がなくて反省的なところからは何ものをも生まれてこない。そのこと自体が悪である」

「分別がありすぎ、利口すぎて、結局はいかなる行為も責任を持って実行することにはならない。
すべての人が賢明な傍観者であろうとする」

              ★

この講義での私の主張と願い。

「人は伸びようとした場合、失敗や間違いを犯す。
この失敗や間違いがあってこそ、人は成長する」

「もしも、自己の成長を期さない人がいたら、せめて他人の成長プロセスでの現象である失敗や間違いを責めることはしないで欲しい。邪魔をしないで欲しい」

この講義も、5~6回ですね。
無論、勤務時間まで食い込こと度々。


そして、そして、彼等の日々の振る舞いの変化には、都度、驚かされましたね。

少しも引け目のない自信に溢れた言動へと変化していったのです。
特に、同居の太秦電機㈱広島営業所の小橋所長や営業マン連中に対して。


注)企業名並びに人名は全て仮称です。