ライバル社に乗り込んだ私。どう乗り切るか?

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前回のあらすじ
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ユニック車を購入した故に四面楚歌。
背水の陣の私。ライバル会社を初回訪問しました。
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面談してくれたのが本郷業務課長。
東京からの転勤族でした。
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訪問目的を説明。 次の面談は数日後の午後6時半。 
指定された日時に、SD社を再訪しました。

注)登場する人物名は全て仮称です。

私の履歴書・217

1986年春 ライバル・SD社(現東証一部、資本金110億円 年商連結2170億円)広島支店応接室。

SD社の支店長の帰社が遅れているので、一人、応接室で待ちました。
20畳位の部屋で、真ん中に応接セットがチョンとあるだけ。

午後6時50分になり支店長が帰社。
営業第一課長の帰社は7時を回ると言うことで、支店長の他に営業第二課長、第三課長も同席。

彼等の最も疑問の持つ事。
「何故にライバルの太秦が?」

その説明をしている途中、次々と営業社員が帰社し、直ぐに応接室に入って来ました。
ライバル太秦が来ていると聞いて色めき立ったのです。

あっと言う間に、私は二十数名の営業社員にぐるりと囲まれました。
こういう敵対する男達に囲まれたのは、香港の高層アパート以来の出来事。

彼等はむんずと腕組みをし、目は釣り上がる。
背後からは荒い吐息が。

「本郷課長! 太秦が我社の納品業務をするとはどういう事ですか?!」
「ここにおられる方は太秦電機㈱ではなく、子会社の中国メンテナンス太秦㈱の水無瀬常務です」

「一緒じゃないですか。その会社に我社の納品業務をやらせるのですか?」
「決まった訳ではありません。検討のために支店長に会ってもらっているのです」

「支店長! どうするのですか?」
「それは、これから水無瀬常務の話を聞いてからの事です」

「話を聞く必要は無いじゃないですか。我社の情報が全部筒抜けになるじゃないですか!」
「そうだ! そうだ!」


この雰囲気では不味い!
私は、その場所ですっと立ち上がりました。 そしてぐるりと周囲を見渡しました。

下目で私を睨む人。人影から私に冷たい視線を浴びせる人。
尋常でないことは明白。


私は、改めて社名と名前を言い会釈しました。
「本日は、皆様のお仕事中にお邪魔いたしまして申し訳ありません。

御社をこうして訪問させていただきましたのは、これまでの3K的納品並びにメンテナンスの在り方を変えようと思うからです。

今までは、単に納品据付作業をしてお仕舞でした。
皆様、果たしてそれで良いとお考えでしょうか。

業者が、メーカーの御社(おんしゃ)と顧客の要望通り納品据付をするのは当然です。
私達はその顧客満足のレベルではなく、それの上のレベルを追求しています。

それは、お客様が 『弊社に据付けてもらって良かった!』 と喜び、それと同時にお客様が 『御社の製品で良かった!』 と喜ぶ。 

それを聞いた御社が 『弊社に依頼して良かった』 と喜ぶ。そして私達も喜ぶ。
つまり、一つ納品据付業務を通して、お客様、御社、弊社の三者が喜ぶ姿です。」

「然し、あんた達の車には、社名の『太秦』が入っているから、太秦の客を増やす事になるだけだろう?」

「仰る通りです。そこで、車には一切塗装をしていません。但し、無印ですと信用が無いですから、『CMU』の三文字だけ車のドアに書かせてもらっています。中国メンテナンス太秦の略です」

「それはそれとして、どうして我社でなければならないのか?」
「仰る通りです。実は、私は、御社にどうしても恩返しがしたいのです」

「どういう意味だい? それは」

「実は、6~7年前でしょうか。コーヒーメーカー主催三泊四日の招待旅行に、御社東京支店の山田課長と一緒のメンバーになりました。

香港での最初の夜、私は、香港の夜の女に有り金の全部を召し上げられました。
挙句の果てに宿泊しているホテルまで怒鳴り込まれました。

以後の私は、無一文に。
煙草一本吸えない。

皆様ご存知、油で口の中がどろどろする中国の食事。
コップ一杯のビールさえも飲めない」

「- - - - - - - - - -」

「毎日、煙草三箱にビールは大瓶で二本飲む私にとりましては、地獄でした。
煙草の吸えない苦しさ! ビールの無い喉の渇き! この苦しさはお分かりのことと思います。

山田課長は、昼食の時、しょげている私達を見て、空いている私達の前のコップに一杯ずつのビールを注いでくれました。 美味しかったですね。ビールがこんなに美味いものとは。

次の夕食時に、いつ注いでくれるか、いつ注いでくれか!待ちましたね。
やはり、それから四度の昼食・夕食の時に注いでくれました。煙草も時々貰いました。

帰国してから、この恩返しをしなければと思いましたが、その方法が見当らず。
ずるずると今日まで来てしまいました。

今こそ、山田課長さんに直接では有りませんが、御社にお返しするのが私の責務と思います」

「- - - - - - - - - -」

「私は、この事業コンセプト実現の為に、社員対象で、毎週月曜、朝7時半から早朝講義をしました。
先ずは実存主義キルケゴールの 「死に至る病」 と 「現代批判」 からです。

本当の絶望とは、死を選べない程の段階であること。絶望して自殺した人は、実は絶望していない。
死を選ぶ余裕が未だあった! と言う内容です。

それが終ってから 「孫子の兵法」「ランチェスター戦略」「三国志」 等です。

他方、社員を毎月交代で各メーカーの東京・大阪開催技術講習会に参加させ、単なる納品から脱皮すべく、メンテナンスの技術力向上を図りました。 その講習修了証書の写しがこのファイルです。御覧下さい」

「- - - - - - - - - -」

「アイスケースの担当者の方、いらっしゃいますね。もしも私の言う事に疑問でしたら、今直ぐに藤三商会㈱広島営業所の所長に確認して下さい。今の時間でしたら営業所にいると思います」

「- - - - - - - - - -」

そして私は、両手の拳を両脇に挙げて、絶叫しました。

「二年半前に、私は藤三商会㈱の全国会議の壇上で1時間40分の講演を行いました。
ランチェスター戦略の藤三商会㈱での実践方法についてです。

その会場では、取締役の皆さん全員と全国の支所長さん合計250人の方々が私の戦略についての講演を聴いてくれました。

もしも所長さんが不在でしたら、京都の藤三商会㈱本社取締役佐藤営業本部長に電話をしていただけないでしょうか!!」

しぃ~~んと静まり返りましたね。

それはそうです。当時の冷蔵冷凍ショーケースを製造する業界で、藤三商会㈱を知らない者はいないのです。
特にアイスクリーム業界では天皇のような存在でしたから。

一人去り、また一人去り、瞬く間に支店長と業務課長と私の三人が取り残されました。

支店長がポツリと言いました。
「水無瀬常務、五日後に電話で返事をしよう」

「分かりました。五日後ですね。有難う御座います」
そう言って、私はその場を去りました。

時間は、午後八時を大きく回っていたと思います。


参考)藤三商会㈱での講演の様子は以前の私のブログ記事にあります。

No.191聴衆を総立ちにさせた私の講演 ←ここをクリック
No.192講演は、最初の数行が勝負  ←ここをクリック
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