広島の街の香り

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国家公務員法第百条違反の検察のリークを、そのまま流すマスコミ。
とある筋からの情報と詐称して、検察の言うウソでもお構いなし。
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事ある度に「容疑者が、こう話しているようです」の連続。
外界から遮断された塀の向こうの人が言ったことをマスコミは何故分かるの?
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検察の完全なる情報操作。
いつから我が日本には、戦時中の大本営特高が復活したの?


《前回のあらすじ》

社員旅行で鹿児島・指宿観光ホテルへ。
行きは飛行機、帰りは新幹線。

新幹線のなかでの彼等は、夫々の高校の校歌を歌いましたね。
私なんかは、在学中から校歌を知らないのに。

私の履歴書226

《潮の香りの広島の街》

1985~1986年の頃の広島という街は、香りの楽しめる街でした。

前回広島勤務中の1982年に、スズキ・ジェンマ(50ccバイク)を買い、市内の海沿いを走りました。
再度の広島でも、ジェンマで走りましたね。

街の匂いって、場所・季節・天候・風向・時間によって違いますね。
何故その違いが鋭敏に分かるかと言いますと、橋を渡るからなのです。

市中には橋が沢山あります。
橋を渡ると言うことは、別の生活圏に入ることなので、街の匂いも違うのですね。

今、調べましたら、市内の橋の数は、2,812(2m以上)とか。
街は太田川の三角州に埋め立ての際、洪水対策としての放水路など、数本に分けたのですから。

今でも思い出せる香りは、御幸橋を通る時のもの。
橋の上に来たとたん、突然、潮の香り。

バイクを停めて大きく息を吸いました。
潮の香りって、たまらないですからね。

でも、香りのする時と、全くしない時があります。
天候や季節等の他に、潮の満ち引きにも関係があるのでしょうか。

他方、広島市南区仁保の海沿いの道(県道86号線)の三丁目付近では磯の匂い。
でも、この付近を外れたら全くしませんでしたね。

そこから西へ行きますと、マツダの宇品工場。
流石に工場の香り。

更に西に行きますと、宇品港。 この周辺では、何故か潮の香りはしません。
鼻が潮の香りに慣れてしまっているからでしょうね。


《長旅をしたインコ達》

妻の友人から、インコを一羽貰いました。黄色の頭部に緑色の身体。
雌で名前を「チィ」と付けました。

雌の一羽だけでは寂しかろうと、雄のインコも一ヵ月後に貰いました。
青い羽毛の雄で名前を「ケン」と呼びました。

チィの籠に二羽入れましたら、チィはケンをいじめます。
新たに籠を買って、その二羽を入れたのですが、変わらず。

そのくせ、ちゃんと卵を産んで、最初は4羽孵りました。
次も何羽か孵りました。

そのなかで家に残したのが二羽。

一羽は全身が黄色のインコ。遠目ではカナリアですね。
もう一羽は、母親のチィとそっくりの配色。名前が「ターボ」。

妻が籠の掃除をしている時に、ケンは籠と手のほんの僅かな隙間から逃げて飛んで行きました。
追いかけましたが、見失い、数日間近所を探しましたが見つからず。
鬼嫁のチィから逃れて、ほっとしたかも。

残るインコ三羽が、その後、我等家族の一員として広島から飛行機で札幌へ。
そのうちの一羽のカナリアのようなインコは、やはり札幌で亡くなりました。

生まれた時から、虚弱でしたから。
美人薄命?

四年後、再度飛行機でチィとターボは、元気で札幌から大阪へと同行してくれました。
この二羽は、水無瀬で夫々満十三歳、満十四歳で亡くなりました。


《独身寮の二人を呼んで》

当初、村主社員は、週に二日は我家に来て一緒に一升瓶を空にしましたね。
そのまま、ポテッと二人でコタツに寝て朝を迎えるのが度々。

同じく独身寮に住んでいた藤木社員も時々。
彼は、鼻がツンと高く、色白でなかなかの男前。

福岡時代、彼に惚れた女性が度々広島に来ました。
「呼びもしないのにしつこく来る」とぼやくことしきり。

私がその彼女を連れて来いと言いましたから、その彼女を我家に連れて来ました。
素敵な女性でしたね。

美人で物腰の柔らかさ。
でも彼は我等夫婦の前で彼女の事をけなすのです。

残念なのは、このお二人さん、一緒にならなかったですね。
今でも心残りです。