私を誹謗してきた男の言葉を鵜呑みにしてしまった私

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今回のみ、時計を1985年から一気に1998年に回します。
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昨日、銀閣寺道近くの寺前さんのお墓参りに行って来ました。後日にと思いましたが、忘れないうちに書き留めておきたいですから。尚、次回からは元の1985年(昭和60年)春に時計を戻します。

私の履歴書・204

私のかっての上司・寺前さん(仮称)が亡くなったのは今から11年前の1998年(平成10年)。享年66歳。私が東京営業本部にいた時です。

噂で京大病院に入院していた事を知ったのは、亡くなる2年前の平成8年頃ですね。
早速、関西での会議の際、足を伸ばしてお見舞いに行こうとしていました。

処が、青葉常務(元東京支店長で昔の私の上司・この時は常務取締役)が言うのです。太秦社長・全取締役・全部長の出席した会議の席上での事です。

「寺前さんのお見舞いに行って来ましたが、寺前さんは、誰とも会いたく無いと言っています。
ですから誰もお見舞いに行かないように」。更に会議が終ってから廊下でわざわざ「水無瀬君、君もだよ」と。

そう言われますと、この時、妙に納得してしまったのです。
私の人生の中での最大の失敗事!

当時の寺前さんは、多忙に紛れて虫歯の治療をなおざりにしていましたら、顔面に癌。顔の片側の眼も含めた頬をごっそりと切除されたとの事です。

故に、その姿を私にも見せたくないのだと思いました。ですから、入院を知ってからほぼ2年間位だったと思いますが、お見舞いに行かなかったのです。

平成10年の梅雨時、寺前さんの訃報が入りました。
翌日、当時神戸営業所長をしていた寺前さんの甥っ子から電話がありました。
それは葬儀の日時と場所を伝えるものでした。

葬儀の日、自費で東京から滋賀県の葬儀の場所の彼の自宅に参じました。
雨が激しく降る日でした。涙雨と言うのでしょうか。

テントで記帳を済ませましたら、誰かが「水無瀬さんが来た!」と言って家に入って行きました。直ぐに未亡人となられた奥様が傘をさしてやって来られました。

「実は、主人は入院中、水無瀬さんと高知営業所長さんの名前を何度も言っていたのですよ。どうしているかと。特に亡くなる直前は、あなたのお名前を息絶え絶えながら何度も呼んでいましたよ」

更に涙ながら「ご焼香は、是非、一番最初にお願いします。主人が一番会いたがっていた水無瀬さんに」

大勢の参列者の中には、地元有力者や、会社からは私より上のポストの人が参列していました。でも私の名前が最初に呼ばれ、他の誰よりも私が最初にご焼香をさせて頂きました。

帰路の電車の中では、涙が止まりませんでしたね。

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それからもう11年経ったのですね。
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2年前までは、毎年1~2回は、彼の墓標のある墓(京都市左京区浄土寺)にろうそくと線香をあげてきました。時にはワンカップや缶ビールをも。
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私、何故かこの二年、行かなかったです。
出不精になったからです。
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それにしても、彼の亡くなったのは行年66歳の若さ。
私もそれに近づきました。
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私があの世に行く時は、三途の川の向こうで待っていてくれるように今回もお願いしてきました。