女子営業社員・世子の戦術
私の履歴書・293
今から思い起こせば北海道にバブルがやってきたのは、世子の入社した1988年4月からでしょうね。
この年の私達の業界での大きな変化と言えば、食品メーカーが機器を買い上げ、小売店等には無償貸与する形になったことです。
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従来のLL社へのアプローチの目的は、LL社営業員が持つ『新規開店や商店の機器購入見込み客情報の入手』でした。
参考2)それまでの市場は、『マーク機』が二割。八割は我等機器メーカー販社が、直接小売店等に販売する『白機』でした。
参考2)以後の市場は逆転し、『マーク機』が八割。二割が、依然と価格交渉が必要の『白機』。
それが、LL社に対しては『販売活動』が目的となり、小売店に対しては『我社の機器の指名依頼』が目的になりました。
元LL社キャンペーンガールだった世子にとって、より有利な舞台となりました。
ライバル社の顧客(小売店)に対して、親しいLL社営業員が我社の機器を勧めてくれるからです。
と言っても、LL社では道内で結構転勤があります。
LL社東支店に地方から転勤してくる社員は、世子にとって知らない人。
転勤がある度に、世子と東支店に出かけました。
転勤して来た社員を世子に紹介するためです。
と言うのは、彼等は私にとって知り合いなのです。
私の毎月の三分の一は地方出張。
その都度彼等と飲む事が仕事の一つでした。
それに、彼等の転勤の場合、餞別も渡していました。
余談ですが、この餞別の捻出では苦労しました。
社内規定では、餞別は原則禁止なのです。
餞別は現金の授受ですから、形を変えた賄賂と看做されるリスクがあることと、使い込みのような不正な事態に陥り易いからですね。
そうは言っても、手をこまねいている訳にはいかない。
道内一回の転勤で50人以上動く訳ですから、都度最低25万円は必要です。
この転勤のシーズンとなると、神戸部長と私は、カラ出張の旅費清算をして、この餞別の金を捻出しましたね。
世子について「おやっ? この娘は違う!」と思ったこと。
世子
「機器の話は一切しないで下さい。それは、後日、私がお客さんと交渉しますから」
更に
「所長は、お客さんの業界についての所長の考えを話していただけませんか」
先ずは四方山話から始まるのですが、頃合を見計らって世子は自然と会話を相手の業界の内容にもって行きましたね。
そこで私は、その業界に関しての持論を展開するのです。
ここが世子の他の社員との違いですね。
中年男性交渉相手と対等な立場になるために私を活用していたのです。
印象深いのが㈱北海道料飲コンサルタンツ。(今は無い)
二人共に東京の私大卒30歳代中頃の垢抜けしたいい男でした。
彼等は自称 『世子ファンクラブ会員』
新店が出来ますと、都度、必ず世子宛機器注文のFAXが来ましたね
私をよく外に連れ出したのが世子に亜子。
男性社員と同行したのは、年末年始の挨拶ぐらいなものでしたかね。
気合が違いますね。
余談ですが、世子と同行訪問する都度、相手からは羨ましがられましたよ。
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