変貌する街を歩く

 
5月中旬、再度、鶴舞公園(本荘城跡)に。
この城跡で最も高い場所と思われる本丸北西端に位置する丸具足櫓跡へ。
 
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ここには、本荘藩戊辰之役勤皇碑が立っている所。
 
 川向こうの新山を撮っていましたら、ベンチに腰掛けている白髪の人が話しかけて来ました。
彼 「写真が趣味ですか?」
私 「特別趣味ではないですが、昔懐かしい新山を撮っているのです。あそこには本荘中学がありましたからね。処であなたも本荘中学?」
彼 「私の場合は、入学は本荘中学で、卒業は本荘南中でしたよ」
私 「私は、本荘中学卒業で、本荘高校卒業ですよ」
彼 「私も本荘高校ですが、それではあなたは1年先輩ですね」
 
 それから、お互いに半生の話となりました。
 
 彼は40歳の時に、父親が5億円の借金を残して死亡。
その借金を父の名誉を守るために相続。
ようやく、残るは200万円になったとのことでしたね。
 
 その後、四方山話となりました。
そこで、ここ5年間の私の知っている人の消息を尋ねてみました。
 
 自殺した人が二名。
二人とも共通しているのが、高校時代の夏休みに野球をした仲間。
 
 そのうちの一人は高校は別だが、一浪して国立東北大学に進学した尾留川君(仮称)。商売不振と家族内のゴタゴタで自殺したとか。
 
 もう一人は、高校時代は同じクラスだった作左部君(仮称)。
日大工学部に進学。
親から引き継いだ会社を倒産させ、首を吊ったとか。
元来が遊び人間だから已む無しとの彼の見解。
 
ひょっとして知っているかもと思い、真由子さん(仮称)の事を尋ねました。
 
私 「中学の1年2年と高校1年の三年間、同級生だった真由子さん(仮称)が4年前(20061月)に夢に出てきたから亡くなったと思い、彼女の弟が経営している会社に電話を入れたら東京で元気にしているとのことでしたよ」
 
彼 「4~5年前と言うと恐らく倒産寸前の大変な時ですね。弟である社長が、銀行から先物を買えと金をどんどん貸し付けられ、挙句の果てに暴落。
今は、何とか倒産は免れたものの、完全に銀行管理会社です。
倒産寸前の頃、お姉さんも大変だったでしょう」
 
 彼女、その頃、何を考えたのでしょうか。 
 
 私の履歴書に登場する一つ年下の小川君(仮称)(中学の体育の小川五郎先生(仮称)の子)は、京都の同社大学を卒業後、故郷で就職。田舎の街で賭け麻雀に狂って、挙句の果てに人を殺したとか。
 
 
 中学三年の時の同級生の女の子(高校の体育の村山先生(仮称)の子)の弟はヤクザ。子供時代、甘やかして育てたようです。でも、我々生徒には厳しい先生でしたが。
 
その他、諸々。
 
 他方、本荘市街がどんどん変わっていますね。
どこからお金が湧いてくるのか。
 
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二年前の大町の交差点です。東方向(美倉町)をパチリ。
 
昔懐かしい洋品店「マルキ」
この建物も、もう無いです。向こう隣りが小坂呉服店
 
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今年5月の大町の交差点。
 
北方向(中横町)をパチリ。
向こうの小山が新山公園。
 
右手前角が、洋品店マルキの跡。拡張された道路となっています。

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この交差点のマルキから四軒程南隣だった『そば屋清吉』の現在。
 
手前の道路が拡張された上横町通り。
 
 
このままでは、人も街の姿も消えてしまう。
カメラ片手に、自転車で市中巡りをしました。