東京転勤・半地下生活の始まり


私の履歴書40代本社編
『戦えない鍋蓋組織論の展開』の続編です。



小野事業部長は私に言った。

「我社にこのような経営幹部がいると言うことは、我社はもはや独力でこの企業を維持発展する力はない。次の交渉では、我社がLL社の完全子会社として営業部門を縮小し、メンテナンス主体とするしか残された途(みち)はないだろう。だが、そういう話は太秦社長のプライドが許さない。だとしたら、今後は反LLの動きになるだろう。でも淀川営業本部長の唱える鍋蓋組織では、戦い業績を向上する組織ではない。せいぜい維持出来たとしても10年そこそこだろう。」

余談だが、戦前、小野事業部長の父親は四国・愛媛出身で、上京し、人力車を引きながら苦学し東大に入学。卒業後は大蔵省にキャリアで入省。彼の父親には男3人女1人の4人の子供がいた。内、男2人は東大へ。女一人は今の御茶ノ水大学へ。彼のみが京都の同志社大学である。

その理由は、戦後まもない小田急沿線の現・成城学園内での事件だった。

ある日のこと、彼は教室で白人と喧嘩をしたが、拳法に長ける彼の相手ではなかった。怒り狂った白人は、彼が横を向き内ポケットに手を入れた瞬間、隠し持っていた拳銃で彼を撃った。幸い弾は心臓をそれたものの、彼の脛(すね)の中で止まる。

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それを医者は麻酔無しで脛(すね)の一部を切って弾を取り出した。
(画像説明)弾は右側面から入り、中で止まる。医師は、左上部を横に切り、そこから弾を取り出した。

事件は隠蔽されたが、彼は白人と争ったカドで東京退去となった。それ故に、彼は京都の同志社に転校し、そして同志社大学に入学したのである。

話を淀川取締役の唱える鍋蓋組織に戻すと、3月に入ると京都本部は歯抜け状態になり、間もなく毎日が休日のような空席だらけのガランとした状況に陥った。

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これでは仕事にならない。私も意を決して東京に単身赴任することとした。

それまで総務課は東京へ移動する社員の東京での独身寮の部屋の割り振りなどに追われていたが、私の東京への移動意向を聞いて慌てた。

東京での独身寮は、練馬・巣鴨・川崎の三箇所あったが、割り振りは済み、残っている部屋は、川崎の通称半地下倉庫と言われている物置に代用している所しかなかったのである。

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ここは部屋としては1DKでまともなのだが、コンクリートに防水加工をしていないから、何しろ湿気が多く人間が住むところではないとし、倉庫として使っていたのである。これが5部屋もあった。

このことを知っている総務課員たちは、私にこの部屋に住むようにと伝えるのに相当苦慮したに違いない。松山部長(仮称)が直接私の席にやってきた。

最初に来た時は何故かその表情は顔面蒼白であった。理解困難な話は途中で切れ、翌日、再度やってきた。

その時は、顔面蒼白というよりも青みがかり、ほほは小刻みに震えていた。三度目に来た時、遂に彼は私に川崎の103号室が指定する部屋であると申し渡した。

後日談になるが、私と同じ年齢の松山部長は、この東京の独身寮の部屋割りで苦慮しすぎたのか、精神的に変調をきたし、病院通いとなり、翌年会社を去った。

こうして私は1996年4月1日に上京し、川崎寮で引越し荷物を103号室に入れた。

この時は妻が同行し、関西で予め買っていた冷蔵庫や洗濯機・電子レンジなどの他に、現地でカーテンや敷物の他に、除湿機(当時7万円)を新たに買い入れた。

部屋は日中なのに薄暗い。何しろ窓の半分の位置が地表でアリンコが目の前。当初は何が問題なのか分からなかったが、間もなく解明した。

休日、通り雨が去り、窓際の地面に陽が差したとたん、地面からもうもうと蒸気が立ち上がる。窓際は幻想的な雰囲気となった。

やがて梅雨時になると、一晩で除湿機の2リットルのタンクは満杯になる。出勤前にそれを空にし、電源を入れたままで出勤する。無論、帰宅するまでは既に満杯で止まっている。

物干し場が無いから洗濯物は室内干しなのだが、当然、乾くまでは、と言っても生乾き状態なのだが数日を要する。

ある日、電車に乗ると異常にかび臭かった。
誰だろう、こんな二子多摩川線の混雑した車内で常識が無い者がいると思ったので、クンクンその臭いの根源をたどると実は私の背広から発していた。

これはいかんと思い、早速、脱臭スプレーを購入し、翌日、出勤前に背広全体にふりかけ、これで一安心とばかりに通勤電車に乗り込んだ。いつものように混雑していたが、安心感からか爽快な気分だった。

ところが、電車が大きく揺れる都度、あの同じカビ臭さがほのかに鼻につく。背広の内側を嗅いでみると、発生源は同じく私だった。

翌日には背広上下の他にワイシャツ・下着にまでスプレーをふりかけた。これで万全と思い込んでいたら甘かった。

ある日のこと、またまたあの同じ臭気がほんのかすかに鼻につく。原因は、頭髪だけではなく、私の身体全体から発するものだった。翌日からは、毎日出勤前に朝風呂で、通勤電車内での私からはほんのりと石鹸の匂いがした。

それにしても、このことを今思い出してもどっと疲れが出るほどだ。

電車に乗車中は常に気遣いし続けただけではない。午後、取引先などの顧客訪問で先方の応接間では自分の身体から何とカビ臭が・・・。

なるほど、松山総務部長はここまで知っていたに違いない。彼の精神に異常をきたす程の事態とはこういうことだったのかと逆に感銘した。



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