過酷だった十三(じゅうそう)での研修

 
 
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         私の履歴書・396
 
 1992年の秋
 
吉田本部長に茶封筒を渡されました。
 「このセミナーに参加するように」と言いながら。
 
その案内書には「後継者育成塾」と書かれています。
略称「NF(ニューフロンテア)塾」
 
主催は、関西のある財団法人。
研修期間 一年間。 
二ヶ月に一度のペースで計六回開講。
セミナー受講料 126万円。
 
「これ、どういうセミナーなのですか?」
「企業の二代目社長を育成するセミナーだよ」
 
全国的に戦後創業した企業が多く、その子息が四十歳台前半の所謂団塊の世代
高齢社長の万が一に備え、子息に帝王学教育をしておこうと言うもの。
 
「間違いでしょう。私は社長との縁故関係は無いですから」
「いやいや、間違いではないですよ」
 
「何で私が?」
「君を指名したのは太秦社長だよ」
 
「はぁ?????」
太秦社長の立場上、どうしても我社から誰かを出席させなきゃならないから、君となったわけだ」
 
さて、その第一回セミナー会場は、阪急十三(じゅうそう)駅西口から徒歩5分のホテルプラザオオサカ3F・雅の間。http://www.plazaosaka.com/
 
1992年1月29日(水)午後二時開講。
参加者名簿を見ると参加者は24社の26名。
 
その内、社長の息子の二代目社長候補者は一名。社長の縁戚者も一名。
残る24名は、私と同様、各々の社長との縁戚関係は無い。
 
営業関係は私も含めて二名で同じく大学は法学部卒。
残る24名の所属は、総務や経理の管理部門で然も経営か経済か商学部卒。
 
年齢は35歳から48歳までで、私はブービー
役職は課長か部長。
 
開校式は、各企業の社長が参列し、彼等の挨拶から始まりました。
無論、太秦社長も参列。子供の大学入学式に親が参列した雰囲気でしたね。
 
尚、ここ十三のホテルプラザでは三回開催されました。
開校式の一回目が三泊四日。二回目が四泊五日。三回目が最終回で一泊二日。
 
このホテルで行われる講義は、主に貸借対照表(バランスシート)に関して。
4~5人が一つのチームとなり、与えられた課題に取り組む。
 
チームは席順で振り分けられ、私の前一人と後ろ二人の計四人。
彼等の所属は全国的に著名な企業。内、二社は現在では東証一部上場会社。
注)この二人はその後、夫々専務取締役まで昇進。但し今は退任。
 
ここのホテルの場合、朝から夜の十時まで缶詰ですから大変でした。
更に、宿題もあって、夜中に自分の部屋に帰ってからも電卓を打たなきゃならない。
 
皆さん、流石本職ですから電卓やソロバンが早い。
対して私のソロバンは、小学校の時の6級のままですから推して知るべし。
 
それに皆さん、長時間のデスクワークに強いし、それに超真面目。
私の場合は、時々気分転換をしなきゃ、到底、脳が回らない。
 
夜の十時過ぎにホテルの自分の部屋に帰り、入浴後、宿題は放置し、徒歩3分の十三の繁華街(栄町通り)に出かけました。彼等を誘っても断られましたから一人で。
 
何しろホテル内レストランでの三食ですから、胃の中が狂う。
だから、夜の街では先ずは刺身に焼肉とアルコールで胃の調子を整えました。
 
ホテルに帰るのは午前様。
目覚ましをセットし一眠り。
起床は午前五時。
それから二時間、宿題と取り組みました。
 
このホテルプラザオオサカに宿泊の時の日中の具体的研修内容については、疲労困憊でしたから、全く記憶にありませんね。
 
                         つづく
 
参考)
 
十三駅(西口) 一杯飲み屋
十三駅(西口) 夜の栄町通り