天下りの必然性
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私が官公庁OB雇用案のレポートを提出してから太秦社長(仮称)の罵倒はことある都度に続くのですが、それがようやく2~3ヶ月に一度になった頃、と言っても部長会の席では他のことでの罵倒は続きましたが、全国の管理職以上、並びに子会社の管理職以上が出席する㈱ウズマサの全体会議の二日目(土曜日)の席上、井深衆議院議員(仮称)が講演しました。
それが終わったとき、太秦社長は参加者全員に問いました。
「井深先生に何かお願いすることは御座いませんか?」
会場はシーンと静まり返っていました。
私は太秦社長を見やると、社長も私を見つめていました。
社長はそれから井深先生に向かい、こう言ったのです。
「各省庁の退職者を雇用したいので、各省庁の窓口を紹介してもらえませんか」
まさに寝耳に水、びっくりポンでした。
私の官公庁OB雇用案に関して、あれ程私を罵倒し続けていたのに。
壇上の井深先生は即座に頷きました。
「お安い御用です。紹介致しましょう」
それから二日後の月曜日、私は吉田専務室に呼ばれました。
「水無瀬部長、官庁OB雇用は君の担当だ」
「エぇ~ッ? 私が? 何で?あれ程社長は私を罵倒したのに。他にも適任者がいるでしょう。」
「社長のご指名だ。そういうことだ」、
なる程、このドラム缶のようなお尻で男性諸氏を圧迫するのかと思いました。以後、度々二基ある小さ目のエレベーターで他の女性議員と同乗しましたが、何れも立派な臀部でした。当時はこうでなければ務まらなかったのでしょう。
アポ時間10分前に井深先生の国会事務所を訪問、面談後、遠井秘書(仮称)に我が部署の業務内容を説明すると、直ぐに二つの省庁に電話を入れて下さいました。
一つの省庁では審議官に、もう一つの省庁では、人事課長にお会いしました。
両者共に、東大法学部卒の超エリートです、
この時は、時期が悪く、今春退職予定の皆さんの行き先は決まっており、断念せざるを得なかったのですが、それでは子供の使い走りです。
審議官の方には7つの地方局に電話を入れていただき、それに基づき、私は各地方局を訪問。地方の天下りローテーションの中に㈱ウズマサを加えていただけるようお願いしました。然し、何しろ彼らにとっては無名の会社ですから、直ぐには事が運びませんでした。
何故に天下り先が必要かと言うと、管理職は定年までに幾年かを残しての50歳代後半に退職する習わしだからです。尚、高級官僚の場合は50歳前後でした。
年金(恩給)が入るまでの数年間は、天下り先が無いと民間人と同様、縁故か職安に通わなければならないのです。それに彼らには失業保険が無いのです。
私のこの部長職在任中、国家公務員退職時から直ぐに我が社に入社した管理職の方の場合、これまでの物の把握の仕方とは余りにも違い過ぎて精神的に参っていました。
例えば、予算というと、各省庁では使い切ることが仕事ですが、民間企業の場合は、彼らが現職中は寧ろ蔑視していた利益が主体です。
やはり、そういう意味では、従来の固い頭による感覚から、民間企業の前年比売上高、売上高経常利益率、人件費、変動費などの感覚への移行・育成として、レールの敷かれている何年かの天下り機関が必要と思いました。
但し、高級官僚の超高給な天下りを除いて。
今回はここまで。続く。
『私の履歴書40代本社編目次』
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