人生意気に感じる元公務員


天下りの必然性 2017/4/4(火) の続編です。

この当時の㈱ウズマサの年商は400億弱。経常利益は40億円~70億円。
上場もしていないし、大衆相手の機器を製造しているのでもなく、ましてや関西企業ですから、霞ヶ関にとっては全く無名の企業なのです。

ですから、例え各省庁や地方局の人事課が㈱ウズマサへの再就職を斡旋したとしても、誰も手を挙げる人などおらんかったのです。

(注)キャリア組は天下りで、ノンキャリア組の場合、再就職と言いました。

これではいかん。
そこである省庁の審議官にお願いをし。退職後、民間企業に勤務し、ローテーションでそこから次の斡旋する勤務先に加えてもらうようにお願いをしました。

間もなく審議官から電話があり、近畿地方局に訪問せよとの沙汰がありましたので、早速地下鉄谷町四丁目の大阪合同庁舎に伺いました。

そこで紹介されたのが50歳代後半である施設の部長職で退職され、以降、地方局が斡旋した二つの渡り先をこなしてきた60歳過ぎの南大阪に住居の近藤さん(仮称)という方でした。

局の方の条件は、勤務期間は2年で、以降、次の人を送り込むということでしたが、私は、「その条件は受け容れられない。弊社のしきたりは、本人の意欲と体力があれば5年でも10年でも勤務してもらう」と述べ、了解を得ました。

そして近藤さん(仮称)と面談し、勤務条件や給与条件を決め、その旨地方局に報告し、無論、東京の霞ヶ関に出張し、審議官にこの件での報告をしました。1994年のことですね。

近藤氏の所属は、営業本部の私の部署付き参事で、呼称は営業部長、勤務先は、㈱ウズマサの大阪支店とし、近藤氏の部下に私の部下の都地主任(仮称)をあてました。

近藤部長は、就任早々、都地主任の運転する車で、近畿地方局の管轄するエリアにある関連施設を次々と訪問していくのです。

その勢いたるや凄まじきかなと言えるもので、都地主任もたじたじでした。近藤部長は、このポジションは、自分に続く後輩の為に確かなものとしなければという責任感と自負心に溢れていました。

近藤部長は60歳過ぎとは思えないほどの体力とアルコールには殊更強かったですね。特に海に近い関連施設への訪問の場合は、夕方施設の職員を小料理屋に呼び出し、その店で最も高い日本酒を、或はわざわざ急遽酒屋に持ってこさせ、アテには活け造りなのです。無論、一泊二日、或は二泊三日の出張です。

だから都地主任が本社に出勤した時は、いつも二日酔い気味でした。近藤部長は私も一緒に行こうというのですが、私が同行した場合、水無瀬は酒を飲みたくて近藤部長と出張したと陰口を叩かれる恐れがあるので、一度も同行出張はしませんでした。

(参考)
「男女社員混浴の始まり」 2010/10/12(火) 
部下亜子に混浴しようと浴衣の袖を引っ張られるが断る。

ある日のこと、近藤部長が大阪で一緒に飲もうというので、夕方、近藤部長と都地主任と私の3人で気の利いた居酒屋に行きました。

そこは全国の銘酒を棚一面にずらりと並べていて、近藤部長はある銘柄と等級を指名しましたが、あいにく無かったので次のランクの日本酒を指名し、その一升瓶をデンとテーブルに置きました。それでも破格値でびっくりポンでした。

それから三人で一升瓶二本では足らず三本目を空にしたところでお開き。
無論電車はありません。ミナミから近藤部長宅は近いけど、我らというと都地主任は京都伏見、私は京都と大阪の国境の島本。タクシーで枚方まで乗ってそれからそこでもう一台のタクシーを拾い、都地主任はそれで伏見へ。私はそのまま島本へ。高かったですね、タクシー代。飲み代もタクシー代も接待交際費で落としたけど。

また或るときには午後7時ころ電話があり、相談したいことがあるというので急遽大阪に出かけ、梅田駅近くの居酒屋で待ち合わせをしました。

イメージ 1
    (画像は借用しました)
何事が起きたのだろうと思いきや、「水無瀬部長は激務で疲労していると聞いたので元気をつけましょう」と言い、その店で一匹2万円のすっぽん料理をオーダーしました。

最初に出てきたのが三角のカクテルグラスに真っ赤な液体。すっぽんの生き血。
これを飲んだら疲労回復するという。

私は1966年頃、京都岡崎の京懐石 美濃吉(京都市東山区三条通白川橋東入)の裏で、すっぽんをさかさに吊り、血抜きをしている現場を見てから、すっぽん料理のメニューを見ただけであの可哀想な姿を思い出すからすっぽんはトラウマでした。

然し、恐る恐るで、何も加味しない血そのものは美味しいとは程遠いものでした。無論、この時の飲食代は会社の接待交際費で落としました。

近藤部長の最大の武勇伝は、ある省庁の関連施設での入札の時のことです。
何故か、入札の場で指揮をとっているのは近藤部長だったそうです。

応札は5社で、札入れが終わり、壇上の近藤部長が各社の封筒を順次開けていきます。処が㈱ウズマサの札を開けることもなく、「はい、㈱ウズマサに決定」と言ってジ・エンドだったそうです。

この話を都地主任から聞いて大笑い。と言うのは、何年かに一度、各施設には、霞ヶ関の本省から、或は地方局からの現場視察があります。

この時に、施設側が本省や地方局の視察官を接待する経費を捻出するのに大変な苦労をするそうです。ゴルフに夜の会席料等で40万円ほどは必要のようです。それを代わって捻出するのが我が社の役目ということになります。

この件、二十数年前のことですから時効ですね。尚、それから2~3年後、本省からお布令が出て、視察官に対するゴルフ接待禁止となりました。

その近藤部長、地方局の意向である勤務期間2年間限定に反し、㈱ウズマサに60歳代後半まで元気バリバリで勤務しました。彼は、毎年、地方局人事官にどのような勤務報告書を提出していたのでしょうか。

一般的には、公務員は退職後、力を発揮できるのはせいぜい2~3年間だけと聞いていますので、ノンキャリで退職後10年間も力を発揮できるとは、別格ですね。

そうそう、以降も採用したOBの皆さんの勤務状態や、地方局、その管轄の施設などの現場状況報告に、月に一度は審議官にお会いしました。その都度、京都の抹茶用お菓子を手土産に持って行きましたから「糖尿病にする気か」と笑われました。


(参考)
この省庁のノンキャリアOBとの記事は下記のURLにあります。

『1996年ノンキャリア組OB同行記』 2014/3/21(金) 

『ある地域特性とは』 2013.08.07
九州地方のある農村社会で起きたこと



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