私の履歴書・20代編 目次

若い女性のお酒にご用心

私の履歴書・80 《とんだ夜》 或る日の深夜、お手伝いの可愛い佳子がふらつきながら一人で部屋に入って来ました。 北井は、藪用で不在。西川と私の二人の時です。こたつの上に一升瓶を置いて飲んでいました。 佳子の様子が変です。ろれつが回らない。酔っ払…

少女の大人の話しへの興味

私の履歴書・79 《お手上げ》 お天気の午後、ふらりと北井君(仮称・26歳)が入社。寝起きは西川君と同じガレージの三畳の部屋。 日中や夜は、隣の部屋の私との三人でコタツに入りながらよくあれやこれやと話をしていましたね。 お手伝いの15歳の可愛い佳…

東映スタントマンの大怪我

私の履歴書・78 《東映スタントマンのミイラ男》 アルバイトで来た東映スタントマンの西川君(仮名24歳)は、京都太秦生まれの太秦育ち。 チャンバラ映画の東映ですから、彼等スタントマンの役割は、落下する事。 屋根や崖から落ちたり、絶壁から水中に飛び…

それぞれの或る青春

私の履歴書・77 《或る青春》 大学一回生(一年)の終わりごろ、アルバイトとしてやって来たのが、京都大学文学部四回生の大林君。 つまり、私と同じ年齢という事もあり、度々、夜通し話しあいましたね。 彼は私と同じガレージの方に住んだのですが、ここに…

当時の究極の味・ホルモン焼き屋

私の履歴書・76 《京都駅前の焼肉屋》 何故に、元京都屠殺場職員の鈴木君の話を前回にしたかと申しますと、 彼のおかげで、生まれて初めて究極の美味しさを知ったからです。 1967年(昭和42年)前後のことです。 当時、私達が、度々行っていた焼肉屋と言えば…

バーベキューは牛の頭一つで!

私の履歴書・75 《工場の中にあった定時制高校》 時には夜間の仕事もありましたね。 夜間工事の代表的なのが、滋賀県の奥、鐘紡の長浜工場や彦根工場。 (今は両工場共にありません。尚、当時、鐘紡京都・山科工場の跡地が未だ公団住宅建設の前の空き地の頃…

それは、お花畑の行楽地大学

私の履歴書・74 《二度目の春》 居酒屋横居ののれんをくぐると、いつもの手ぬぐい鉢巻の板前スタイルの横居さん。 「どうじゃった?」 「アカン! もう、試験、受けへん」 「もう一つあったんじゃ?」 「うん、でも行かひん」 「そんじゃ、高い受験料、もっ…

屈辱と絶望の日

私の履歴書・73 《一度は諦めて》 当時、D大学に通学している神戸の女子学生が有名でしたね。 社長令嬢で、通学は真っ赤なポルシェ(形式911?)。 ヘッドスタイルはケロヨンでしたね。 これを運転して名神高速を往復。時速200km? フュンと追い越して行くそ…

祇園で遊びたいために

私の履歴書・72 《私の進路決定事由》 本来、入院は一ヶ月で、以後、退院してから静養するようにとの医師の指示。 . 退院をしたら、じっとしていられないだろうと自己判断をし、 医師に頼んで退院を二週間延期してもらいました。 . つまり、45日間、入院した…

せんべい布団の快適さ

私の履歴書・71 《病院のベットの恐怖》 . 実は、入院三日目から新たな苦痛が始まったのです。 . 田舎から京都に来る時に、母は、敷布団の他に、厚さ20cm程の三つ折り式のマットレスを私に持たせました。 . このマットレスの上に敷布団を敷き寝たのが2年間…

ゴルフが出来ない恥骨骨折

私の履歴書・70 《15年後の後遺症》 . 恥骨骨折の診断書なのですが、どうもおかしいのです。 . 恥骨骨折の他に何か漢字が書かれてあったのですが思い出せないのです。 . 実は、その時も股の付け根の内側が痛むのです。 . 大腿四頭筋(だいたいしとうきん)の…

看護士さんに遊ばれる辛い恥骨骨折

私の履歴書・69 《看護婦さんの善意?》 恥骨(ちこつ)は、女性の皆さんは良くご存知でしょうね。 . 臨月の時に痛むようです。 . この恥骨の場所は、簡単に言えば、おへそに指を当てて まっすぐ下におろしてぶつかる骨です。 . . . さて、本文へ。 (今回は…

走馬灯が見えた瞬間

私の履歴書・68 《走馬灯》 案の定、車はスリップを始めました。速度80kmは優に超えていましたからね。 運転手篠山さん、前のめりで必死なのですが絶望的な横顔。 私の目の前は、濡れた波打つアスファルトの直線の路。 大阪方向ですから僅かに下り坂。それが…

無為なる日々の後に待ち受けていたもの

私の履歴書・67 《琵琶湖で叫ぶ日々》 八坂神社の初詣でのとんだハプニングで年が明けました。(写真は1月3日の八坂神社かるた始め) 大学受験をするとかしないとかは毛頭だに念頭に無かったです。 いつの間にか、連中と一緒にJR京都駅まで走って大津駅で下…

藁をつかんだ女性

私の履歴書・66 《藁をつかんだ女性》 除夜の鐘を微かに聴きながら、薄暗い路地から路地へと歩きました。五人程で。 西洞院六条から東山四条の八坂神社へ。 この頃はもう除夜の鐘は止んでいました。 石段を登り始めた時は、そんなに人はいないと思ったのです…

感涙!京都の梵鐘

私の履歴書・65 感涙!京都の梵鐘 . 《ギャンブルの日々》 京都の夏は暑いですからね。 昼も、夕方も、夜も。死にそうな蒸し暑さ。 誘われて、私も涼しい琵琶湖競艇場に行きましたよ。京都駅から。 月の半分は開催されていました。毎回行くのは5人。 ランナ…

親子のテレパシー

私の履歴書・64 《二人で建てた山小屋》 店主が、私達の住む部屋は自分で作りなさいと言うのです。 . 場所は、徒歩5分弱の元うなぎの寝床をつぶしてガレージとしている場所です。 . 私と27歳の仲根(仮称)さんとの二人で家を建てましたね。 . 二人とも、大…

京都の飯炊き小母さんの怒り

私の履歴書・63 《D大相撲部主将との出会い》 . 京都の町屋・うなぎの寝床の奥は土間。 . この土間を囲んで、東側の一階が事務所兼食堂。 二階が私達の住む八畳の部屋が二つ。 . この土間の西側の六畳間と南側中空の八畳間に住んでいたのが18歳から20歳…

当時の国鉄は飲酒運転でした

私の履歴書・62 《国鉄職員の秘密の居酒屋》 ここで余談を一つ。 昼食は早目に食べて、事務員の小母さん二人も含め数人で、近くのパチンコの12時開店に並びましたね。 当時は手打ち式。100円で玉を購入し全開のチューリップを打ちます。場所は西洞院七条上ル…

うなぎの寝床の迷路に入る

私の履歴書・61 《パチンコで稼ぐも》 1965年(S40)春、とにもかくにも財布がピンチ。学生相談所は、もう利用出来ません。 やむを得ず、京都新聞職業欄を食い入るように見ましたね。 いいのがありません。と言うよりも、大学に一度、席を置きますと狭き門なの…

京都人の厳しさ

私の履歴書・60 《京都人の人使いのノウハウ》 挨拶が終わると、待望の朝食の用意がしてある土間での食事。犬と並んでである。雇い主の家族は、一段と高い目の前の畳の部屋の丸い飯台での食事。ご飯と味噌汁からは湯気が立っている。 我等には、昨日の冷たい…

京都の未明は寒い

私の履歴書・59 《金も尽きてー未明白川通りから松ヶ崎橋を渡る》 . 京都に舞い戻るや否や待ち受けていたもの。 . それは、小銭しか残っていない財布。 . 悲嘆する余裕などは無い。稼がなければならない。 . 先ずは当面の生活費。 以前、京大大学院生の田舎…

御茶ノ水橋口交差点で転倒

私の履歴書・58 《これが天命といえども》 . 本能的に身体をひねろうとする。もう遅い。 . 右ひじが一瞬早くアスファルトに着く。 . ドォ~~ンと仰向けに落下。 一瞬、灰色の世界。 誰かの大きな声で我に帰る。大の字の私。 視界には、東京の、青い、青い、…

生死をかけての風邪薬

私の履歴書・57 《今度こそ!が御茶ノ水駅前で転倒》 一期校の試験終了の翌日から二十日間の記憶は定かではない。 熱は、依然として39度から下がらず。 試験が終わったからと言って布団や下着が乾くものではない。 それに毎夜の寝汗。 いよいよ三月下旬。二…

試験三日目、力尽きる

私の履歴書・56 《力尽きる》 . 試験初日、六時起床。 ずぶ濡れの下着から、生乾きの下着に着替える。 . ひやりとした冷たさ。 六時半下宿を出る。京都の朝は、殊更冷える。身震い。 . バスで阪急河原町駅へ。 バスでは座れた。電車は始発なのに座れず。 十…

発汗で湯船となった布団

私の履歴書・55 前回のあらすじ 再受験本番一週間前、隣室の大学生が睡眠自殺を図る。 . 《連日発熱40度》 . 翌朝、何となく身体がだるい。 机に向かう。 . 集中出来ない。 それまでの緊張が解けたせいかも。 . 夕方、近くの銭湯に行き、学生食堂で夕食。 い…

遠ざかる二度目の春

私の履歴書・54 《天の試練かー隣室での自殺未遂》 一月、田舎の両親宛に届いた大学からの一通の手紙。 それは、私の退学届け受理の知らせ。 狼狽(ろうばい)している両親に手紙を書く。 「一筆参上。今後、親子の縁は切らせていただきます。独力で生きて行…

京都の大学での春でした

私の履歴書・52 《京都での大学1年生をはしょれば②》 この頃、合ハイ(合同ハイキング)の流行でした。 今は、合コンですね。 . クラスの有志が手分けして、京都市内の女子大・女子短大と交渉。 . 私の担当は、京都女子大学。 . 春、チンチン電車15円で、東…

京都先斗町に降る雪も~♪

私の履歴書・51 《京都での大学1年生をはしょれば①》 その年、京都の私大に入学。 . この語学クラスの最初のコンパは、居酒屋(河原町三条下る)の二階。 . 真っ先に皆で歌ったのが『お座敷小唄』。 . あ~~!これが京都! 感激でしたね。 「♪富士の高嶺に…

不二家はどうなるのだろうか

不二家は、ショートケーキでも問題を起こしている。 あのミルキーペコちゃんが、かわいそう。 姿を消すのであろうか。 ☆ ☆ ☆ 『 不二家のショートケーキ 』 京都に来てから二年目の昭和41年(41年前)のこと。 東京にいる同郷の、ある君との初デート。 中学二…