無為なる日々の後に待ち受けていたもの

私の履歴書・67
《琵琶湖で叫ぶ日々》

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八坂神社の初詣でのとんだハプニングで年が明けました。(写真は1月3日の八坂神社かるた始め)
大学受験をするとかしないとかは毛頭だに念頭に無かったです。

いつの間にか、連中と一緒にJR京都駅まで走って大津駅で下車。
そこから無料バスで琵琶湖競艇場へ。

雪が降るスタンドで我等は叫びましたね。
「かませ~~!」(大外から勢いをつけてスタートし鼻を千切る事)
「よっしゃ!かまし一発!」
「ど下手! 琵琶湖にぶちこむぞ!」

まあ、柄の悪いこと。



《逢坂山でかまし一発》

大津といえば、京都・山科から国道1号線を行くと、逢坂山の下りの終わり頃に電車の踏切がありました。
京阪電車京津線(当時は京都・京阪三条浜大津)です。

尚、京都では、当時、京阪電車を「おけいはん」と言う事を聞いた事がないですよ。


この峠には、その昔、逢坂の関があった所です。
百人一首で詠まれていますのは二つです。

『これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関』 蝉丸・第10番
『夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の関はゆるさじ』 清少納言・第62番


当時、この京阪電車のスピードはチョロくて歩いている方が早い位。
峠の坂ですし、急カーブでしたから。

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チンチンチンと竹竿の踏切が降ります。
「行け~~!」
「よっしゃ!かまし一発!」
.
トラックのスピードを上げて踏切に突っ込む。
「バシッ!」と踏切の下りた横棒をはじきます。

右には、チンタラ上ってくる電車が10m程の至近距離。
運転手の顔が見えます。

踏み切りの横棒は竹竿。(写真は、現在の踏み切り。当時は、左右から竹竿が降りてくる構造)
車が通ると、くの字に一旦は曲がりますが、通り過ぎますと「ピョン」と元の位置に戻るのです。

さてさて、今回はご無事。
誰がババを引くか。

この竹竿、何度もくの字に曲げられたら、何れ折れ千切れてしまいます。
誰が、この降りた踏切に突っ込んだ時にこの竹竿を千切ってしまうかです。

こんな毎日でした。ですから、元旦から四月下旬までの明確な記憶は無いのです。


《死の恐怖の一瞬》

処が、初夏の前夜から降り続いた雨が止まない暗い朝の事でした。
京都から国道171号線経由、国道176号線豊中を走行中、私は胸騒ぎ。

案の定、トラックはスリップを始めました。100m弱。
トラックは左側の歩道の鉄パイプ製ガードを目がけて。まっしぐらに!!!!

僅かに右斜めになりながら。助手席には私!!!!

                             続く

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No.68《走馬灯》《救急車》
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/52420036.html
^^^^^死ぬ!と思った瞬間、逆回転の走馬灯が