当時の国鉄は飲酒運転でした
ここで余談を一つ。
終了させて換金すると千五百円前後でした。負けても最初の100円だけ。
当初は、勝つと、その日の夜は近くの「居酒屋横居」で一杯。
当初は、勝つと、その日の夜は近くの「居酒屋横居」で一杯。
写真は七条新町交差点から南の京都駅方面を撮ったもの。
.
この交差点左側三軒向こうに、「居酒屋横居」がありました。
その向こうが消防署と七条公設市場。
居酒屋横居の向側が「北山医院」。(この近辺の住宅は立ち退きで現在はありません)
閉店間近に来る客は、これから夜行列車の運転手。
恐らく、半分眠って運転していたのでしょうね。
恐らく、半分眠って運転していたのでしょうね。
ついでに更に余談を
ひょんな事から友人となった24歳の比叡タクシーの運転手。実家は、京都・聖護院。
昼から酩酊で運転。無論、勤務中ですよ。
昼から酩酊で運転。無論、勤務中ですよ。
気に食わない客は、遠回りしたり、途中で降ろしたり。
但し、給料は、六万円。当時、大学出の初任給が二万五千円の時代。
但し、給料は、六万円。当時、大学出の初任給が二万五千円の時代。
雲助ではなく、虎助でしたよ。イケメン優男(やさおとこ)の。