当時の究極の味・ホルモン焼き屋




《京都駅前の焼肉屋

何故に、元京都屠殺場職員の鈴木君の話を前回にしたかと申しますと、
彼のおかげで、生まれて初めて究極の美味しさを知ったからです。


1967年(昭和42年)前後のことです。
当時、私達が、度々行っていた焼肉屋と言えば、京都駅前京都タワーの東向い側の路地。

住所で言えば、塩小路烏丸上る東入る。店の間口が三間、奥行きが半間。
つまり、カウンターでの客の座る椅子は道路の上になるのです。

ここで一番高かったのが「テール」(牛の尻尾にタレを漬けて焼いたもの)。
握りこぶし大で500円近くしたと記憶しています。今の貨幣価値では5000円弱。

このまさに軒下の店が流行っていましたね。煙ボウボウの汚い店ですが。
結構焼肉好きの者にとって有名のようでした。遠くからもわざわざ来ていましたし。


でも、屠殺場の牛の頭でのバーベキューの話しの後、暫らくは、焼肉を食べる気にはなれませんでした。


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《京都の究極のホルモン焼き屋さん》

或る日、鈴木君が、焼肉ホルモンの飛び切り美味い店に行こう!と言いました。
しつこさに負けて彼を助手席に乗せ、彼の道案内で、夕方、西院の西小路四条に行きました。

四条通りから路地を上り、左折して突き当たりを右に曲がった住宅地の中でした。
当時のデルタ自動車四条教習所(今は近くに移転)の北裏手だと記憶しています。

テーブルが二つにカウンター。小さなホルモン焼き屋さんでした。
店はおかみさんと娘さんの二人で切り回ししているのでしょう。

日本語は一切無し。全てハングル。
緊張しました。

話している言葉の意味が皆目分かりません。この店での私は異邦人でした。
何か話し声が聞こえるだけで、私の事を話しているのでは?とおののきました。

彼は、焼けた白くぶよぶよで熱々のホルモンを私の皿に乗せる。
それを、味噌ダレに漬けて食べよと言うのです。

気持ちが悪かったですね。牛の腸等食べた事が無かったですから。
先ずその形がグロテスク! それに白い腸は運呼が通った所!

当時、京都で焼肉と言えば、予め漬けた肉を焼く南大門(四条河原町下る)でしたから。焼いてからタレに漬けて食べる習慣は無かったですから。

一種の恐怖感に襲われながらも、箸の先っちょにつまんで口に入れました。

ワハァ~~! 美味い!! 世の中にこんな美味いものがあったのか!
心では叫びたくなる程。でも、ここの私は異邦人。表情は顔だけにしました。

流石、元、京都屠殺場職員。
市内各ホルモン焼き屋に直接卸していますから、美味いところを知っている!


今では、スーパーでも売っている焼肉のタレですが、当時はそのような物は皆無。
40年前の話しですからね。それに、秘伝の味噌ダレ。

更にキムチ。目がくらくらする程のニンニクの香り! 毒々しい赤!
それがまたコクがあり、何とも言えない奥の深い味!!

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その後のある日、女性を連れてこの店に入りました。

先ずは、怪訝(けげん)そうなお店の人達の私達への眼差し。
彼女の容姿と服装は当に場違い。

店内の会話は依然と全てハングル。
彼女の顔はひきつっていました。
青ざめ気味。軽蔑の目で私を視る。

やがて、焼けたホルモンを汚らしそうにタレに漬けて、イヤイヤながら口に運ぶ。

とたん、満願の笑みで「美味しい!!!」


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