京都人の厳しさ

私の履歴書・60

《京都人の人使いのノウハウ》

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挨拶が終わると、待望の朝食の用意がしてある土間での食事。犬と並んでである。雇い主の家族は、一段と高い目の前の畳の部屋の丸い飯台での食事。ご飯と味噌汁からは湯気が立っている。

我等には、昨日の冷たい残飯。無論、隣席のポチも、我等と同じ残飯に我等と同じ味噌汁をかけたもの。我等は、ポチか、ポチ以下か。

漬物がどんぶり山盛りの「菜の花」なのだ。京都に来てから1年、菜の花漬は食べた事はない。
我が田舎では、山菜は食べるが、路傍の菜の花等、食べない。


(菜の花漬けが、京都の名産だと知ったのは、それから二十年後。尚、田舎の菜の花は菜種油を採る種類のもので、漬物にでもしたら真っ黒くなる。種類が違うのですね。)


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いざ、仕事。体育館の広さの床一面に、大型冷蔵庫大の鉄製容器数百個が升目状に敷き詰められている。一個の重さは優に一トンはある。それをクレーンで吊り上げ、人力で押して端に移動。

建物の端に移動した容器をゆるい傾斜地に降ろし、それに全体重をかけて倒す。
ただでさえ体重67キロが60キロに落ちたのに、これには参りました。
一個一トン強のが数百個。アルバイト三人で重機無しで倒すのですからね。


 へとへとになりながら、夕方は、朝と同じ様に徒歩40分で下宿へ帰宅。
疲労し過ぎて、今度は眠れない。ボヤボヤ・ウトウトしていたら、午前三時半が来る。


 数日後、アルバイトが一人減るも、作業量は同じ。募集するも誰も来ない。
それに半月後、この作業量が増えるとの事。

そこで、或る日の夕方、作業効率をあげる為に、作業の改善内容を具体的に提案した。
今の人数と、今のやり方では、身が持たない。

息子「従来通りでやってもらう!」
私「今の人数で、従来通りのやり方では、いつまで身体が持つか!」

息子が、突然、わめき出した。何を言っているのか意味不明。
それよりも、びっくりしたのは、その母親である。
「何十年と、この方法でやってきたのを、何という事を言うのだ!」と母親もわめき出した。

こりゃ、埒があかない。親子共々、まともではない。


「辞めるから、アルバイト料を、直ぐ清算してくれ!」と私は怒鳴った。
それから三十分後、アルバイト料を受け取り、オサラバしたのである。


受け取った額は下宿の部屋代で消える。瞬時!!
さて、これからどうするか。袋メンも残りは僅か。




余談)

それから30年後、霞ヶ関のある省の人事課長が交代しましたので挨拶に行きました。
応接で四方山話をしていますと、東大法で出身京都。それも松ヶ崎だと言うのです。

「私の記憶にある松ヶ崎と言うと、橋を渡って西に行ったところですよ」
「あァ、あの息子さんとは小学・中学の同級生ですよ。今でも時々会いますよ」

私は、直ぐに話を切り替えましたね。世の中、狭いですね。