京都の大学での春でした

私の履歴書・52

《京都での大学1年生をはしょれば②》

イメージ 1この頃、合ハイ(合同ハイキング)の流行でした。
今は、合コンですね。
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クラスの有志が手分けして、京都市内の女子大・女子短大と交渉。
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私の担当は、京都女子大学
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春、チンチン電車15円で、東山七条下車。
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そこから、長い坂を上った所に京都女子大学

グランドを見下ろせる建物の二階にある部室。そこで合ハイの打ち合わせ。
秋も合ハイの打ち合わせに行きましたが、春も秋も、合ハイには参加しませんでした。


何しろ、同郷の一つ年上の美保(仮称)さんとのお付き合いで休日は多忙でしたからね。
美保さんとは、四月、田舎の本荘駅で、大阪行き夜行急行「日本海」に偶然同乗。
自然と、会話するようになったのがきっかけ。
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彼女は、大阪のある私大の商学部二回生(二年)。住居は阪急淡路。
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阪急河原町駅で待ち合わせ。最初のデートがかきつばたの平安神宮
以降、朝であろうが昼であろうが、いつも行くのは同伴喫茶「ビクター」。
ここに、いつも、いつも阪急電車の終電まで。最長13時間。(場所:四条河原町上る東入る)


夏休みに田舎に帰ったら、彼女を自転車の荷台に乗せて市内をヤッホ~。
はす向かいの美人の奥さんには「見たよ!見たよ!可愛い子、乗せて!」と冷やかされましたね。


アルバイト探しは、大学の掲示板や京都学生相談所(場所は百万遍。2004年3月からアルバイト紹介を廃止)。
 最初のアルバイトは、スーパー店頭での景品タオルのハンカチ配り。

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傑作だったのが、十条の繊維工場での三日間の夜勤。午後6時から翌朝7時まで。
仕事は、繊維を幅2メートルのトイレットペーパーの形に巻くのを横で監視しているだけ。


アルバイト員数5人。監視の機械は一人二台。極めて退屈なのです。
途中、何度かの休憩と夜食のパンが支給されます。


仮眠は午前一時前後の一時間半。仮眠の時は、機械を止めます。
最初の夜は、規定どおりに、翌朝、業務を出勤してきた工員に引き継ぎます。


二日目は、全員仮眠は二時間オーバー。その間、機械が停止していましたから工員さんは困った顔。日報には、機械のトラブルと記入。最終日は、全員、仮眠開始から朝まで熟睡。工員さん、頭を抱えましたね。


友人達は、京都の祭りの行列のアルバイトが多かったですね。
処が、何を思ったのか、友人の一人が京都大学医学部の人体実験のアルバイトに応募。
皮膚に注射を打ち、皮膚の反応を検査するのだそうです。


ホルマリン槽の死体が浮き上がって来るのを、長い棒で沈めるのもあったそうですが、流石に物好きな彼でも、このアルバイトはしなかったですね。



明けて一月。親に内緒で、大学に退学届けを提出したのです。
田舎の両親は、カンカン!!