バーベキューは牛の頭一つで!


《工場の中にあった定時制高校》

時には夜間の仕事もありましたね。

夜間工事の代表的なのが、滋賀県の奥、鐘紡の長浜工場や彦根工場。
(今は両工場共にありません。尚、当時、鐘紡京都・山科工場の跡地が未だ公団住宅建設の前の空き地の頃。)

最近は、市街地化されているようですが、当時は、ポツンと田んぼの中。狸や幽霊が出るとの噂。

夜間、工場が停まってからが我々の仕事開始。
作業をしている時、女子工員がセーラー服で見に来ます。

彼女達は、中学卒業後、この工場に勤務。15~16歳。
勤務時間終了後、グレーの工員服からセーラー服に着替えて、工場内での授業に出るのです。

つまり、工場内に、定時制高校があるのです。無論、宿舎も工場内です。

その彼女達は、仕事をしている我等にすり寄って来るのです。
何しろ、我等の年齢は、19歳から22歳が大半。内、大学生が半分。

「邪魔だから、あっちへ行け!」と言うも、「きゃっ!」と叫んで隠れますが、再度、おずおず近寄って来ます。

工場の営繕担当者は、午後七時頃に「後は頼んだよ」と言い残して、自宅に帰ります。

帰るのを見届け、それから後片付けをして作業終了。床の上に、皆、寝ます。
一夜をここで過ごして、徹夜で仕事をした事にしないとならないからです。

夜、寒くはありませんがとにもかくにも、暇! 
でも薄暗くて何も出来ない!

午前零時頃、彼女らがそっと忍び寄って来ます。パジャマ姿で。
「子供は、早く寝ろ!」「お尻、ピンピンするぞ!」と言って追い出しますが効果無し。

我等に、お菓子と飲み物を差し入れてくれるのです。
已むを得なし。彼女等と色々お喋り。午前二時頃、彼女等は宿舎にご帰還。

こういう状況が、当時の繊維工場や大阪の家電組み立て工場でしたね。





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《バーベキューは牛の頭一つで》

東映スタントマンの鈴木君(仮称)と西川君(仮称)の二人が共にいた時の事です。
初夏の或る日、皆で、野外に出かけバーベキューをしよう!と言う事になりました。

西川君は、鈴木君に「牛肉を貰って来い!」と指示。
鈴木君「牛の頭一つでいいか?」

彼等がバーベキューをする時は、牛の頭一つだそうです。
鈴木君は、十代に屠殺場に勤務していたそうですからね。

事前調査と言う名目で、私は彼を車に乗せて十条西大路を下り、屠殺場に向かいました。
その車中での彼の話しは- - - - -

殺される前の牛は、悲哀のこもった鳴き方をするのだそうです。後ずさりしながら。

恐らく、牛は、自分が、これから殺される事を分かっているとの事。
そして、ハンマーで撲殺するのだそうです。


屠殺場の正門まで行きましたが、引き返しました。
到底、中に入る勇気はありませんでしたね。

無論、バーベキューは取り止めにしました。