■随筆「ほっこり京都人」目次

ほっこり京都人

* --- ** --- * --- ** --- * --- ** --- *--- ** --- * ほっこり京都人 * --- ** --- * --- ** --- * --- ** --- *--- ** --- * はじめに 私が2008年1月から2009年2月までの一年間にこのブログで書いた随筆「ほっこり京都人」を目次にしてみました。 私の…

「東男に京女」の本当の意味

. ≪ほっこり京都人 25≫ . 私の履歴書を書いている途中に、どうしても京都生まれの京都育ちの女性と結婚した男性のことを話しておく必要がありましたので、ここに書きます。 実は私の知り合いで、洛中生まれの洛中育ちのご婦人と結婚した男性で夫婦仲の良い…

戦後の京都を創った二人の首長

《ほっこり京都人 24-④》 残念ですが『第八回 植民地支配の根性まだ抜けていません』の最後の一章を掲載出来なくなりました。 突然、転載しているサイトが閉じられたからです。 さて、彼女達が投票権が無くても一生懸命駈けずりまわった選挙。 戦後の京都…

日本の朝鮮人拉致問題

初めてこの書庫を開いた方は、左上の[ 前の記事へ ] をクリックするか、暦の今日の日付9月19日をクリックするか、又は、ここをクリックして最初の《ほっこり京都人 24-①》からお読み下さい。 《ほっこり京都人 24-③》 第八回 植民地支配の根性まだ抜けて…

京都の根底に流れるもの

今日、初めてこの書庫を開いた方は、左上の「 前の記事へ ] をクリックするか、暦の今日の日付9月19日をクリックするか、又は、ここをクリックして最初の《ほっこり京都人 24-①》からお読み下さい。 さて、 《ほっこり京都人 24-②》 第八回 植民地支配の…

戦前~戦後の京都の街での「在日コリアン」の辛苦

《ほっこり京都人 24-①》 私が京都に来た昭和39年(1964)春、下宿の近所に京都朝鮮中高等学校(左京区北白川)がありました。 下宿の窓の下は通学路で、女学生は民族衣装のチマチョゴリ風制服を着ていましたね。 京都を語る上で欠かせないのが「在日コリ…

京都とは宗教に名を借りたしごきの場

ほっこり京都人(23) 《いじめが大好きな京都人》 12日の金曜日、山科区役所を出たのが午後四時半。厚い雲間からチラリと陽が覗く。 この時間からでは何処の寺院も閉門時間。黄檗山万福寺の研修所は大丈夫かも。 そこで先ずは万福寺の総門へ。入りますと…

古都とは、色々な人達の想いの地

ほっこり京都人(22) 先日、孫が来た最初の夜は、京都駅前の昔からの旅館に宿泊。 その夜の皆が熟睡していた未明のことだったそうです。 二歳五ヶ月の孫娘が、父親に馬乗りになって、父親のほほの左右を紅葉手でパンパン叩くのだそうです。 父親は目を覚…

京都室町商人の真髄

ほっこり京都人(21) さてさて、 当時、巷では、新規業者登録が絶対に不可能とのうわさの会社がありました。 ガラス関係のN社です。東証二部上場(現在東証一部上場)。場所は本社滋賀工場。 業者登録窓口が経理部。このトップが取締役経理部長。この部長…

京都の男の性癖

ほっこり京都人(20) 当時から京都室町育ちの男性には、不思議と共通している一種の癖がありましたね。 彼等の今の年齢は、もう63歳から88歳でしょうか。 さて、その具体例 ① ホテルでのパーテーで何名かで輪になって話していますと、知人の京男室町人が…

非公開・国指定名勝「対龍山荘」の思い出

ほっこり京都人(19) 非公開・国指定名勝「対龍山荘」の思い出 40年前着物姿で格子戸を開けてくれた女性を探すために、当時を思い起こしました。格子戸と庭に大きな池のある家と言いますと、「市田対龍(たいりゅう)山荘」しか思い出せない! 注)對龍山荘…

京都の女性を妻にした男

ほっこり京都人(18) さてさて、今回は京都の女性を妻としましたお話二つです。 . 《茶寮のお嬢さんの場合》 . 森山さん(仮称)は、京都のD大を卒業後、織物会社(当時本社京都東証一部上場)に入社。 . 彼の人柄を見込んで、マネキン会社の社長が房子さ…

40年前の京都の素敵な人との再会

ほっこり京都人(17) 《京都の素敵な女性》 二年前(2006年)のこの時季のことです。 或る日の明け方のこと、布団の中で夢心地の私の眼に、入り口に古い木製の表札が見えました。 私は、必死でその文字を読み取ろうとしたのですがが読めません。字も薄れて…

京大生が木曽路や小諸を好きだった訳

ほっこり京都人(16) 京大生が木曽路や小諸を好きだった訳 彼等京大生は、京都の下宿を出発する時はお尻まで垂れる空のリュックを背負います。 彼等が何度も行ったのが、木曽路と信州小諸です。木曽路と言いますと、島崎藤村(1872-1943 明治5-昭和18)は…

京大生を甘やかし過ぎた京都の街

ほっこり京都人(15) 昨日のニュースに拠りますと石像「牛馬童子」の首が切断されているのが見つかったとの事です。 . 世界遺産に登録された参詣道の熊野古道沿いの石像です。 . (新聞記事は最下段に掲載) . こういう話を聞く度に、思い出しますね。 古…

京都の町屋のある秘密

ほっこり京都人(14) . 今まで、誰も書かなかった京都ですからね。 . ショックの方、ごめんなさい。 . でも、今度、京都に来られましたら、鴨川のせせらぎに 感傷的になるかもしれませんね。 . 祇園白川にひらりと舞い散る桜の花びらに、もののあわれを感…

いよいよ、ほっこりして来ましたね

暖かくなりましたね。 夜明け前の今が一番寒い時間なのに、ここ大阪・水無瀬の今の室温が20℃ですよ。暖房無しで。 昨日の朝八時頃は、うぐいすが街の中で鳴きましてね。 「ホ~、ホケキョ」って。 よく響きました。皆さん、耳を澄ませてにっこりだったでしょ…

京都の民家にタイムカード

ほっこり京都人(12) 今回は、ちょっと雑談。 弥生三月、確定申告や企業決算で多忙な月ですからね。 京都府は、昔から優秀な中小企業の多い府県です。 中小企業を育成してきたからなのでもありましょうね。 その育成の傑作な例の中なら今回は一つ。 この…

首切りが見世物だった京都

ほっこり京都人(11) 私が京都に来た1964年(S39)は、京都タワー計画の是非論が論議されていた時です。 今では、新幹線で京都駅に近づくと京都タワーが見えまして、何となくほっとしますね。 . 他方、その時でも、京都鴨川の河原は、デートのアベックで一杯…

京都の人使いのノウハウ

ほっこり京都人(10) 私が京都に行った頃と前後して京都で事業を始めた会社で、今や、全国に名前が知れ渡っているのが 「餃子の王将」「佐川急便」「MKタクシー」等です。 創業者は何れも純粋な京都人ではないのですが、京都のノウハウを学んだのですね。…

40年前の京都の夜のこと

ほっこり京都人(9) ここで余談を一つ。 京都在住三年目(1966年)10歳年上の丹後出身の友人と七条新町で一杯引っ掛けた後は、タクシーで「千本に行こう!」でした。 行き先は、上七軒近くの公園。その公園の中に10坪程の平屋のほったて小屋。 ゲイバーなの…

京都の節分あれこれ

ほっこり京都人(8) 今日は、節分。豆まきは京都が発祥ですね。 京都の節分と言いますと、やはり表鬼門の吉田神社。裏鬼門の壬生寺。 これを機会に、京都の節分の行事・慣習などの記事サイトを下記(参考1~3)に掲載しました。 尚、私が京都に住んでい…

学生の街・京都の歴史的わけ

ほっこり京都人(7) 《初めて見たうなぎの寝床》 京都に来た最初の春(昭和39年)、大学の友人の新たな部屋探しに付き合いました。 学生課で紹介された場所は、上京区千本中立売近くの路地。(北野天満宮にほど近い南) 木戸をくぐると幅一間程の土間(土…

だから京都人は京都が好きなの

ほっこり京都人(6) 【京都の人の言う「京都」の場所とは】 私は20歳代の11年間と6ヶ月、京都の街で過ごしました。 昭和39年4月から昭和50年10月まで、京都市内をあちこち転居。 最初に住んだのが左京区北白川。 それから→下京区→下京区→東山二条→(西大路…

京都の言葉の素敵な訳

ほっこり京都人(5) 《京ことばの裏事情2-1》 私が22~23歳の頃です。二軒隣に、ある小さな会社の60歳弱の社長夫婦が住んでいました。 宵闇になる時分、着物姿のその夫人がやって来ます。後妻なのです。 私達友達四人が一升瓶をコタツの上に置いて飲ん…

ほっこり京都人(4)

《京ことばの元をたどれば》 江戸中期の1803年(享和3)5月、滝沢馬琴(たきざわばきん)は江戸から京都・大阪に旅しています。 滝沢馬琴と言うと「南総里見八犬伝」の著者で有名ですね。 江戸時代は、曲亭馬琴(きょうくていばきん)と称し、「くるわでまこと…

ほっこり京都人(3)

《この京都人・田上支店長が、いかなる事で東京人を理解出来たかの余談を一つ》 ある日の夕方に、支店長がやって来ました。事務所三階にいたのは、私と、他部署の蓮池君。 「一杯飲みに行こう」と言うので、三人で地下鉄駅の上の居酒屋に行きました。 田上支…

ほっこり京都人(2)

《ここで京都人の典型的な実話を先ず一つ》 田上さん(仮称)は、京都生まれで京都育ち。大学も同志社。勤務先も京都。 その田上さんが栄転をし、東京の支店長として赴任しました。 つまり、当時40歳(昭和12年生まれ)で生まれて初めて京都を離れたわけです…

ほっこり京都人(1)

先日の日曜日も淀に行きました。昼食はA指定席6F京阪レストランへ。 事前に何レースかを購入してしておいたので、ゆっくりと二人でビールと熱燗。 このレストランから見える嵐山は、写真の通り、雪雲がかかってる。 嵐山や京都北部は、淀や私の住む水無瀬が…

人間はいつの時代でも迷える子羊

今、田舎秋田は雨。時折あられ。寒いですね。時間が有るので亡き父の遺品の中から書き物を読んでみました。 昭和48年、今から34年前も今も変わらないですね。悩みはいつの時代でも有るのですから。 さて34年前、精神科の患者が全国に増加。 特に中年女性のノ…