ほっこり京都人(4)
《京ことばの元をたどれば》
江戸時代は、曲亭馬琴(きょうくていばきん)と称し、「くるわでまこと」(郭で誠)とも読みました。でも、教育上、良くないので明治時代以降、印刷物は「曲亭→滝沢」に変更。
馬琴が、京都・洛中に入ったのは、この江戸時代後期。その記録によりますと、
「洛中(京都の中心部)の大半は、皆、妓院(ぎいん・遊郭)」
「色っぽい妓女(ぎじょ・遊女)はいるが、口ばっかり(実のある妓女は見かけない)」
「洛中(京都の中心部)の大半は、皆、妓院(ぎいん・遊郭)」
「色っぽい妓女(ぎじょ・遊女)はいるが、口ばっかり(実のある妓女は見かけない)」
当時の洛中と街言葉がどうであったのか、想像に難くないですね。
参考1)江戸時代以来、芸子も遊女と同様、前借を抱えた年季奉公が多かったそうです。
.この人達の出身は、丹後・丹波地方が多かったようです。
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借金を返す為に、花街は、売春や人身売買の温床となったのですね。
置屋やお茶屋でも、積極的に、それで客を釣ったようです。
参考2)花街での女性の呼び名のお江戸と京都との違い。
「芸子」には、舞を主にする「立方」(たちかた)、長唄・清元・語り・三味線の「地方」(じがた)の二種類。
参考4)洛中と洛外の境界線
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