ほっこり京都人(1)

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先日の日曜日も淀に行きました。昼食はA指定席6F京阪レストランへ。
事前に何レースかを購入してしておいたので、ゆっくりと二人でビールと熱燗。


このレストランから見える嵐山は、写真の通り、雪雲がかかってる。
嵐山や京都北部は、淀や私の住む水無瀬が晴れていても曇りや雨が多い。


特に、京都市内の場合は、今出川通りから南北の気候ががらりとかわる。
と、外の景色を見ながら、大津の友人と話をしていました。


京都の気候の話から、話が京都人の気質へといつの間にか変わりました。
彼「君は羨ましいよ。ワシの家内は京都生まれの京都育ちだからなァ~」

彼は、東京生まれの東京育ち。大学は京都。古希を過ぎたばかりである。


彼「京女(きょうおんな)は、皮肉ばっかりだからなァ~」
私「何十年も連れ添って、今頃ぼやいても始まらんよ」
彼「京言葉って、あれ、遊女の言葉でっせ。あんなに狭い京都市内に遊郭が幾つもあったからなァ」


成る程、そう言われれば、有るヮ!有るヮ! 
指折りしながらお互いに数えてみた。


島原(六条柳町から移転)・二条柳町・六条三筋町(二条柳町から移転)・六条柳町・伏見夷町(撞町)・伏見柳町中書島、それに有名な花街は、上七軒先斗町祇園甲部・宮川町・祇園東。
更に、五条楽園・七条新地。

つまり、狭い旧京都の街は、犬も歩けば、太夫・花魁・遊女に当たったのである。


京都の言葉にも、宮言葉とか中京(なかぎょう)言葉などと色々あったが、最も影響を受けたのは所謂「おいらん言葉」というのか。

さもありなん!


そして彼は、手刀で首を切る真似をしてこう言った。
「代表的なのが『首を切ってしもうた!』だよ」
私「奥さん、その言葉を使うのかい? まさか!!」

                            続く


(追記)


注)京都の大々的な遊郭は1589年(天正17)安土桃山時代の二条柳馬場から。  
上記に記入したもの以外には、八坂新地、二条新地、北野十七軒、東三本木、下河原など。

尚、五条新地(五条橋下)と六条新地は大正時代に七条新地と合併



参考) 江戸時代、滝沢馬琴の記述によると、「およそ洛中半は皆妓院なり」であった。
それは、京都のあの狭い洛中に、64箇所も遊女町が有ったら、そう言えますね。
(馬琴「羇旅漫録1802」、「京都坊目誌」「京町鑑」)

余談ですが、この頃、糞尿は肥料として貴重なものでした。
売れるのです。

京都の洛中の道端の至る所には、肥桶が置かれていました。
一種の公衆トイレ。

男も女も、尿意を催したら、その桶にタチションしたのです。
もちろん、囲いなどはありません。


【京都遊女町45箇所】
1島原 2五条坂 3北野 4内野 5祇園 6祇園新地 7二条新地 8七条河原 9西石垣 10東石垣 11上宮川町 12下宮川町 13古宮川町 14六波羅野 15御影堂うら 16都市(といち)町 17平居町 18一ノ宮町 19三ノ宮町 20膳所うら 21富永町 22末よし町 23新ばし 24なはて 25川ばた 26先斗町 27壬生 28五番町 29七番町 30三ッ石町 31六間町 32寺の前 33下の森 34上七軒 35しら女の辻 36御霊うら 37杉本町 38野川町 39大文字町 40先斗町川端 41難波町 42若竹町 43新車屋町 44丸太町 45壇王うら

【非合法遊女町19箇所】
荒神河原口 2団栗の図子 3六波羅 4松坂 5御所裏 6御影堂裏 7御霊裏 8壇王裏 9貞安裏 10大仏前 11九軒町 12下粟田口 13平野 14中御霊裏





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