予期せぬ別離

私の履歴書・44〈中学時代ー17〉

《東京駅②》
京都に帰って早々、電話がかかってきました。それから何度か。
当時は携帯電話等無い時代。バイト先への電話なのです。

都度、事務員の小母さん連中が私を冷やかします。
私の電話での応対が、ぞんざいなものとなりました。照れ臭さで。



いつの間にか電話も手紙も来なくなりました。そして、いつの間にか秋。
用事は忘れましたが、東京に行くから会いたいとの手紙を出しました。

待ち合わせ場所は、東京駅のプラットホーム。
当時、京都・東京間は、新幹線と在来特急と急行が走っていました。

節約の為、在来特急よりも一時間早く着く急行に乗って行きました。
七時間強で東京駅に着きました。




指定のホームの指定の柱の傍に立ちました。
智子さんらしき影は見当たりません。やがてホームは人がまばらとなりました。

待ち合わせ場所付近には、私と見知らぬ小母さんとの二人きりとなりました。
小母さんが、徐に近づいて来ました。


「○○さんですか?」
「そうですが」
「智子の母です」

「今日は智子がどうしても来れませんので、私が代わりに来ました」
「?????」
「これ、アルバムです。お返しします」


彼女は、私にアルバムの包みを差し出しました。
来れないなら、来れないとの伝言だけでいいのに。

それがどうして差し上げたアルバムを返すというのか。
意味が分かりませんでした。うろたえました。

それに、智子さんの両親は、東京にいるはずが無いのです。
何故?


「このアルバムは、智子さんにあげたものです。受け取るわけにはいきません。」
「でも、智子に返すように頼まれたものですから」
答えに窮しました。

「もしも不要でしたら、捨てて下さいませんか」
こう言うのが、やっとでした。
一体、この何ヶ月の間に、智子さんの身に何が起きたのだろうか。


彼女は、じっと私の瞳を見つめました。
数秒? 数十秒? 見つめ合いました。


何となく、事の成り行きが全て分かったような気がしました。
私は、静かに頭を下げました。
「失礼します」
彼女も、しずしずと会釈しました。



私は、そのまま二三歩下がり、ゆっくりと向きを変え、歩き出しました。
そして出来るだけ遅く、ゆっくりと歩を進めました。


やがて階段。

この階段を降りると智子さんとの別れが確かなものとなると思いながら。
私が東京に居住なら、全く違った結果になっただろうと思いながら。


後ろは振り向きませんでした。
階段を一歩下がる毎に、智子さんとの距離は遠くなっていきます。


出来るだけ、出来るだけ、ゆっくり、ゆっくりと、一歩、一歩ずつ。
降り切った時、智子さんは、遠く遙か彼方の存在となりました。