京都室町商人の真髄

ほっこり京都人(21)


さてさて、

当時、巷では、新規業者登録が絶対に不可能とのうわさの会社がありました。
ガラス関係のN社です。東証二部上場(現在東証一部上場)。場所は本社滋賀工場。

業者登録窓口が経理部。このトップが取締役経理部長。この部長が、超堅物で有名。
吉岡さんは「営業の神髄を見せてあげる」と人差し指で唇を撫でました。

守衛を昔の顔で何とかクリアーし、工場の中の古びた木造の二階に上がりました。
事務室のドアを開けるとカウンター。

吉岡さんのそっと指差す方向は、この事務所の一番奥。
私は小さく声をあげる。
「うあ~~~~!」と。
見るからに輪をかけた堅物!

「部長さん!毎度、おおきに。美園の吉岡です!」と吉岡さんは、カウンターから遥か奥の経理部長に大声で話しかけます。その時、かむっていた帽子を脱いでペコリと頭を下げる。これを繰り返すのです。

帽子をとった後の彼の頭には毛が無い。
若禿げなのです。両側には黒毛が産毛程度。
女子事務員が、隠れてくすくす笑っています。

ここで切り上げて帰ります。したり顔で。無論、帰り際、守衛に新聞紙に包んだ両切りピース5箱を渡します。彼は、帰りの車の中で「よし!よし!」と大いに満足気。

二度目の訪問から守衛はフリーパス。この訪問を数回繰り返したら、事務所のドアを開けただけで女子事務員の忍び笑い。彼は、性懲りも無く、「毎度、おおきに。美園です」と遙か彼方に呼びかけます。

何度か目の訪問の時、奥からの声。くだんの部長さん、「何度来ても、あかんで!」

数日後、「よっしゃ!今日が勝負やで!」
その日、彼は朝井のばあちゃんの焼いたタコ焼を新聞紙に包んで訪問。
いつも通りの女子事務員のくすくす笑い。

彼は、カウンター越しに新聞紙でくるんだタコ焼に爪楊枝を刺し、「このタコ焼は、美味いんだ!ほんじゃそこらのタコ焼と違うぞ!」「タコ焼、好きな人?タコ焼の味が分かる人、おまへんか?」

奥の部長さんは、こちらをチラリと見て、いや~な顔。

一人の事務員が近くの事務員を指差しました。
「ここのお母さん、スーパーでタコ焼き屋をしているの」
「そんじゃ、一口だけ、毒見しはって」

周囲の視線が「面白い!毒見せよ!」と促しているかのようでしたね。
彼女は、徐に立ち上がり、已むを得ないとばかりにカウンターに来て汚さそうに一口。

ところが、

「おいしい!!」
「そうでしょうよ、そうでしょうよ」

と彼は言って「皆はんも食べよし!」と言いながら、カウンター横から入り込み、爪楊枝で刺したたこ焼を皆に渡し始めました。

堪忍袋の緒が切れた部長さん。つかつか歩み寄って来て怒鳴ります。「何度来ても、駄目なものは駄目だ!帰れ!」。目が吊り上っています。皆、シュンと静まる。あ~、これで一巻のお仕舞い!

「そう言わずに、そう言わずに、話だけでも聞いておくれやァす」と言いながら、彼は、部長さんの右側面にすり寄ったその瞬間!

「ぎゃ~~!!!」

部長さんの絶叫・悲鳴!
彼は、部長さんの右の肩近くの腕の皮膚の端を、渾身を込めてつねったのです!

即座に彼は板の間に土下座。「すんまへん!すんまへん!すんまへん!」。
剥げ頭を、油が敷かれた板の間にどんどんと打ち付ける。
「すんまへん!すんまへん!すんまへん!」

部長さんは猶もわめいたが、その後落ち着いて来て「お~、痛かった!」と腕を擦りました。彼は、やおら立ち上がり、腰をかがめて「すんまへん、すんまへん」と言いながら、部長さんの腕を擦り始めました。

「痛かったでしょう。痣が出来たかも」と言いながら、部長さんのワイシャツの腕を捲し上げました。そこの皮膚は、小豆大に緑色に変色。内出血。

「すんまへん!すんまへん!すんまへん!」と言いながら、猶も彼は部長さんの皮膚をなでました。
「未だ痛いわい!青くなっている」
皆が、この青くなった腕の皮膚を見ようと寄って来ます。くすくす隠れて笑う者もいます。

「奥に来い!」と、突然!部長さんは言いました。
「おおきに、おおきに。ほんまに、すんまへんでした」と吉岡さんは、腰をかがめて後を追います。

彼は後ろ手で私を手招きするので私も腰をかがめて従いました。
こりゃ、奥でしっぽりやられるぞ!と思いながら。

「お~、痛かった!」応接室に座るなり、我々にも座るようとの事。最初は苦味つぶしの彼の顔は笑顔に変わっていきました。ひとくさり痛い話が終わった後、部長さんはやおら立ち上がり、書類を持って来ました。

「これが、業者登録の書類だ。判子を押して明日でも持って来い!」
「おおきに、おおきに。有難う御座いました。ほんまに、ほんまに、すんまへんでした」

実態のない幽霊店が、腕をつねって内出血させて当時東証二部上場会社に業者登録が出来たのですからね。

                       これが京都・室町商人の真髄でした。


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