京大生が木曽路や小諸を好きだった訳

ほっこり京都人(16)

京大生が木曽路や小諸を好きだった訳

彼等京大生は、京都の下宿を出発する時はお尻まで垂れる空のリュックを背負います。

彼等が何度も行ったのが、木曽路と信州小諸です。木曽路と言いますと、島崎藤村(1872-1943 明治5-昭和18)は、木曾の馬籠(現在の岐阜県中津川市)生れ。

藤村の有名な詩

「まだあげ初めし前髪の~」(「初恋」若菜集より)
「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ~」(「小諸なる古城のほとり」落梅集より)

小説を敢えて述べれば

木曽路はすべて山の中である」に始まる「夜明け前」。

話しによると、彼等は、先ずは藤村のゆかりの地の物を狙ったのです。それが拡大して、中仙道・板橋宿から始まる69次の内、18番軽井沢宿から59番岐阜の今須宿の各屋号の表札が狙いだったようです。それに宿の置物も。近所のお寺の看板も。

私が見せてもらったものの中でショックを受けたのは仏像と蜀台。それに、駅員に怪しまれたという風化したお地蔵さん。リュックを背負うのに苦労したそうです。その頃は、もう、軽い物が無くなったのでしょうね。

あきれ果てましたのが、旅行好きな理学部三年生。
彼は、自慢のコーヒーを沸かすと言うことで、ポットに水を汲む為に階下に行きました。

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その隙に半畳の押入れを無断で開けて見たのです。「ワァ~!」と声を張り上げそうになりました。やはり、ここにもありました。
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押入れの上段にうず高く積まれていたのは列車の「サボ」。サボとは、サービスボードの略で、行き先表示板。客車の窓の下に掛けてあるものです。
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「京都⇔長野」や「急行しなの○号」等と記入されたホーロー製鉄板。寸法は60cm×14cm程。
(サボの写真はここをクリック)
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これが、ざっと見ただけで100枚はあったでしょう。
よくぞまあ、まめに盗んだものよ! 
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何しろ40年前の事ですから、連中の名前は一人として思い出せません。
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ですが、出身地は一部記憶がありますし、当時住んでいた連中の下宿部屋には今でも行く事が出来ます。但し、その家や学生アパートが建て替えをしていなかったらですが。


彼等の習性を推量出来るのが、広隆寺・国宝 弥勒菩薩事件。
(こうりゅうじ・こくほうみろくぼさつじけん)
※正式名称:弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう、又は、みろくぼさつはんかしいぞう)

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.1960年8月18日、京都大学の学生が弥勒菩薩(みろくぼさつ)みろくぼさつはんかしいぞうに触れて、弥勒菩薩の右手の薬指を折った事件です。
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逸話は「弥勒菩薩があまりにも美しかったので、ついつい触れた」とか「思わず抱きついた」となっております。
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京都ウエストサイド物語より一部抜粋しますと、事実は全く違うようです。
http://www.aba-pon.net/kouryuuji.html
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→何年か前に、この話の後日談を境内の掃除をしているオバサンから聞きました。
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美談の事故にも思われたこの事件をひき起こした京都大学の学生は実は、やっぱりろくな奴ではなかったそうです。
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「実物を見たのは初めてで、薄汚れていて期待外れだったから、いたずらでやってしまった」などと供述しています。
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しかしさすがは京大生、その後弁護士になったそうです。しかしやっぱり最後まで悪徳弁護士だったのだと、オバサンは自慢げに話していました

以上が一部抜粋文ですが、この供述は、果たして本意だったでしょうか。

既に、お気付きですね。
彼は、右手薬指を盗もうとして見つかった!

尚、これらの年代が、定年退職をし、今、昔日を思い出しながら、遺跡や名所巡りをしているのですよ。空の大きなリュックを背負って?

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