京大生を甘やかし過ぎた京都の街

ほっこり京都人(15)

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昨日のニュースに拠りますと石像「牛馬童子」の首が切断されているのが見つかったとの事です。
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世界遺産に登録された参詣道の熊野古道沿いの石像です。
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(新聞記事は最下段に掲載)
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こういう話を聞く度に、思い出しますね。
古い話しですが、四十年前になりますかね。




先ずはその前段の話し。

当時の京都市民は、旧帝大京都大学の学生を誇りに思っていましたね。賢いと。

他方、京都市民は、私大の同志社大学生をボンボンアホの「同(ドウ)ヤン」、立命館大学生は貧乏人の「立(リッ)チャン」と言って小馬鹿にしていました。

面白いのは、当時でも誇りに思う京大生の7割以上は他府県出身。
同志社立命でも、半数以上が他府県。

つまり、京都市民の子供の大半は、この三つの大学に入れなかったのですから。
不思議な事に、京都市民のお子さんの入る大半のその他の大学を小馬鹿にした言葉は無いのですよ。


古都京都市民は、自分達のひがみが他様に知られないように間接的に表現していたのですね。


調子に乗ったのが京大生ですね。
換言すれば、京大生は甘やかされて、何をしても京都では赦されたのですから。

昭和10年代(1935-1944)生まれの京大生に限れば、泥棒が流行った年代。

先ずは、図書館の本の盗み。寮に行きますと、本棚に並べてあるのです。何十冊も図書館のラベルを貼った本を自慢げに。

更に、本屋での専門書の万引き。手法は、大きな紙袋を持参。本棚から二冊を取り出し、一冊を読んでいる姿で、もう一冊を下に置いてある紙袋に滑り込ませるのです。これも自慢げに実演して見せるのですよ。

彼等は例え見つかっても少しも心配はしていません。京都大学の学生証を見せますと、その場での説諭のみで済むのを知っていますからね。同志社立命の学生でしたら、警察沙汰でしょうに。


当時、京大で流行っていたものは、それだけではありませんでした。

休日は、京都の北山や、鯖街道(京都・出町柳若狭湾)をハイキング。
夏期休暇では、中仙道・信州をハイキング。時には高野街道

何れも、旧道やその枝道を、ばかでかい空のリュックを背負って。

このお尻の下まで垂れる程の空のリュックがミソ。
食糧の買出しではありません。1㍍強の寸法が必要だからです。

                       つづく


参考) ニュース記事

牛馬童子」壊される 熊野古道のシンボル 2008年6月19日 12時10分(共同)

 和歌山県田辺市は19日、世界遺産に登録された参詣道の熊野古道沿いにあり、シンボルとして親しまれている石像「牛馬童子」(同市中辺路町)の首から上が切断されているのが見つかったと発表した。

 市教育委員会によると、18日午後、通りがかった人が気付き、市に通報した。頭部は発見されておらず、人為的に壊された可能性が高いという。

 像を管理している財団法人「近野振興会」が田辺署に被害届を提出。同署は器物損壊容疑で捜査している。
 牛馬童子像は高さが約50センチ。1891年ごろ、花山法皇が旅をしている姿を模してつくられたとされる。田辺市の指定文化財で、作者は不明。




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