原爆花のキョウチクトウが咲きましたね

2011.08.06追記

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今年も今日8月6日はエノラ・ゲイが飛んきて落とした広島原爆の日ですね。
広島の花のキョウチクトウは、今年も6月に咲き始め、今はちょこっと咲いているのみ。
(上の写真は今年7月16日の近所のキョウチクトウ


我等日本人は、被曝に関して貴重な体験をしているのに、福島原発事故に生かされていないですね。
放射能の怖さを訴えると、菅直人政権から風評被害をもたらすと称して逮捕されそう。



広島原爆で亡くなられました27万5230人の犠牲者の皆様に哀悼の意を表し、午前8時15分に黙とうですね。


                  ★


以下は、2008.06.19の記事


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玄関を出て間も無く、赤い花が咲く並木を歩きながらマンマが言いました。

マンマ「今年も原爆花が咲きましたね」
私  「原爆花って?」
マンマ「広島では、キョウチクトウを原爆花と言うの。長屋の三谷さんに教えてもらったの」

原爆の後、真っ先に咲いた花がキョウチクトウ夾竹桃)だったからだそうです。
当時の私は仕事で頭がいっぱい。花を観ることなど無かったですね。


その、広島と言いますと、東京勤務から広島に一度目に転勤したのが丁度30年前。
東京勤務時代の住居は、埼玉の和光市。東部東上線和光市駅徒歩4分でしたね。

当時の広島と言えば、中区や南区での空家は全く無かったですね。
已む無く家族が移り住んだのは、南区宇品の家主と共同風呂の日当たりの悪い部屋。

三歳の娘がとたんに喘息。これは遺憾!
半年後、マンマがようやく探し出した借家は長屋。直ぐにその西旭町の長屋に引越しました。

この長屋での子供達は15人。年上の子は年下の子の面倒をみたり、皆で一緒に遊んだり。
子供達にとっての長屋暮しは生き生きとしたものでしたね。

娘達と朝顔を植えようと、軒下を10~15センチ掘りましたら、瓦のかけらが何個も出て来ました。
それが、「原爆瓦」でした。

今年も、暑い暑い8月6日がやってくるのですね。


尚、今、調べましたら、「キョウチクトウ」は、広島市の「市の花」となっていたのですね。
それに「市の木」として「クスノキ」も。

以下は、広島市のHPに記載されていた一部の抜粋です。



昭和48年(1973年)10月29日、得票数を集計し最多得票を得たクスノキキョウチクトウがそれぞれ「市の木」「市の花」として選ばれました。


市の木(クスノキ
戦前は巨樹老木が市内随所に見られ、中でも国泰寺の大クスノキは有名でした。
その重厚な趣は、人々の心を和ませましたが、原爆でそのほとんどを失いました。

しかし、生き残ったクスノキは、いち早く生命をよみがえらせ、市民に生きる希望と復興への力を与えました。現在、四季を彩る常緑樹として育てられ、新生広島を象徴しています


市の花(キョウチクトウ
75年間草木も生えないといわれた被爆焼土にいち早く咲いた花で、当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれました。

開花は夏で特に8月6日の平和記念日のころに花の盛りを迎え、咲き競う美しさはひとしお感慨を新たにさせます。