40年前の京都の素敵な人との再会

ほっこり京都人(17)

《京都の素敵な女性》

二年前(2006年)のこの時季のことです。

或る日の明け方のこと、布団の中で夢心地の私の眼に、入り口に古い木製の表札が見えました。
私は、必死でその文字を読み取ろうとしたのですがが読めません。字も薄れていましたし。

入り口の左は石段になっていて、それを上ると池。池の向こうは母屋でした。




それから何日か経った後、再度、布団の中で、庭に大きな池がある風景が現れました。

その辺(ほとり)に数人の女性がたむろしています。
その中の見覚えのあるあの人らしき姿がチラリと見えました。

どうやら母屋を壊して?池の辺には喫茶ルームのような建物に変わっていました。



更に数日後の明け方では、二十歳台後半?の色白のきれいな人が現れました。
「きれいな人!」と思わず言ってしまいましたね。

ひょっとして、四十年前に幾度か会ったことのあるあの人かも。(1966年・昭和41頃)
「四十年振りですね」と言った所で目覚めてしまいました。



その翌日未明、彼女は再度現れて「三十年振りですよ」と答えました。
そうか、三十年前、確か京都の大丸百貨店で彼女とすれ違った記憶があるのです。

このすれ違った時に着ていたスーツの襟に記憶があったのです。やはりあの時の人。



イメージ 1.
実は、四十年前、私は所用で月に一度、京都の池のある家を訪問していました。
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いつも塀にある格子戸を開けてくれたのが彼女。
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通常は和服姿。時には洋服。
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きれいな人で、和服姿で現れると、そのしとやかさに小躍りしたものです。
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京都人には無い内面的な美しさを持つ二十代後半の女性でしたね。



ある年には、片方の襟の大きな珍しいスーツを着て格子戸を開けてくれました。何処かにお出かけかも。その翌年の同じ時期にも、彼女は再度このスーツ姿で格子戸を開けてくれました。

それから十年後の三十年前、大丸ですれ違った時、この襟を見て、「あれ?知っている人かも?」と数歩進んでから立ち止まり振り返りました。見ると、彼女も数歩進んでから立ち止まり、振り返って私を見ています。

この時、無念にも誰だったか直ぐには思い出せなかったのです。考えている内に、彼女は人ごみに押されて見えなくなりました。そうか、やはりあの時の人が、そうだったのか。



そして、八月一日未明(2006年8月)夢見心地の私は、京都市内のある料亭の裏口に立っています。
調理場の人が、私の探している人を知っていると言っています。

名前は確か「し- -」と言っていましたが、聞き取れません。この時、聞き直したらよかったものを!!

やっと分かると思うと嬉しくて、その人の所に行って写真を撮ろうと、デジカメを取りに外に行ったところで目が覚めてしまいました。根が単純ですからね。夢心地でも馬鹿ですね。

目覚めてからというもの、残念で堪りません。且つ、自分の愚かさを恥じ入るのみです。



イメージ 2
「せめて場所を教えて下さい」と目を閉じました。
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その格子の家の場所をどうしても思い出せないですから。
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画面が現れました。
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私は、北に行かなければならないのです。
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雨模様。早く行かなきゃ。
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突然、私は地上1m弱浮きます。
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浮いたまま、私は広い道路を直進。ゆっくりと。

向こうに高架(道路?鉄道?)が横切っています。この風景は、広い道路が新丸太町通りかな?
高架は、天神川通りかもしれない。

浮いたまま高架の下の路を左折し、尚も進む。双ケ岡??御室?それとも宇多野?
やがて、池の上をゆっくりと飛び、その縁に着地。

池の辺にある建物の中に入ると晩秋なのか庭の高いところの草木は荒れている。市の建物???
更に建物の中を進むとレストラン??食事中??

どうやら、隣室の水道パイプに何等かのアクシデントが起きているようです。
ここで夢遊から醒めました。




後日、この場所を探しに京都市内をうろうろしました。
でも思い出せないですね。微かな昔の記憶では確か路地に入ったところでしたから。

私には、南禅寺・岡崎周辺、又は、上京区のように思えて仕方が無いのです。



でも、嬉しかったですね。二十代で出会った一番素敵な人と再会出来たのですからね。
あの人が、少しでも私の事を思い出してくれましたから再会出来たのでしょうかね。


尚、二番目の素敵な人は、当時、月桂冠・大倉酒造の社長の弟・大倉義一さんの奥さんでしたね。
自宅は岡崎の閑静とした場所でした。



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