戦後の京都を創った二人の首長

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《ほっこり京都人 24-④》


残念ですが『第八回 植民地支配の根性まだ抜けていません』の最後の一章を掲載出来なくなりました。
突然、転載しているサイトが閉じられたからです。


さて、彼女達が投票権が無くても一生懸命駈けずりまわった選挙。
戦後の京都を語る上で欠かせないのが高山市長と蜷川知事ですね。

1950年(S25)2月8日 全京都民主戦線統一会議(民統)推薦の高山義三(たかやま ぎぞう)京都市長当選。
同年4月20日 全京都民主戦線統一会議(民統)推薦 蜷川虎三(にながわ とらぞう)京都府知事当選。

高山市制は、その後1966年(S41)までの16年間続きました。
他方、蜷川府政はその後28年間の1978年(S53)までも続きました。


この両名の首長により、良きも悪しきも今の京都を創ったと言えるでしょうね。

尚、昨今京都市職員の不祥事(犯罪)に象徴される市役所内部の腐敗に関しては、下記サイトで述べられていますからそれをお読み下さいますようお願い致します。(パート①、パート②をクリックして下さい)


この市、腐りすぎ~『京都・同和「裏」行政』村山祥栄著(評:栗原裕一郎
パート①
パート②
パート②での紹介記事)同和と創価


他方、私が京都に来てから四年後の1968年(S43)参議院選挙の京都地方区で初めて共産党員(河田賢治)の当選で京都の街に衝撃が走りましたね。
(一旦は落選と伝えられながら翌日昼過ぎ当選確定。翌年の第41回総選挙でも共産党寺前巌が初当選)


         『第八回 植民地支配の根性まだ抜けていません』の項はこれで終わります。


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(参考)京都の部落問題について

 被差別部落の居住者は先祖代々同じ血筋で固定されたものと考えられることが多いが、これは間違いで、歴史的には被差別部落で財をなし成功した者が被差別部落の外へ流出すると同時に、被差別部落の外で食い詰めた犯罪人や無職者が生活費の安い被差別部落の中へ流入することが繰り返されてきた。

 京都市内のある部落では、京都部落史研究所の調査の結果、半数を超える「部落民」が部落外からの流入者と判明したこともある。

1937年に京都市社会課が市内の8箇所の部落を対象に行った「京都市における不良住宅地区調査」では、「部落民」のほぼ半数が外部からの流入者と特定された。

また、植民地時代の朝鮮半島から内地に渡った朝鮮人被差別部落に住み着いた。例えば、京都の部落エリアである七条以南の鴨川堤防に掘っ立て小屋を建て住み着いたのが密入国した在日朝鮮人である。

 京都は観光地としての美観を守るために、隣保館と称する市営住宅河原町や岡崎を手始めに各地に建て、それらの人々を超低家賃など様々な特権を付与し移住させた。

つまり京都での部落問題の実態とは、朝鮮人の特権・利権の獲得・維持のための活動となっている。

 ちなみに川崎市幸区多摩川の河川敷に在日朝鮮・韓国人による不法占拠集落があったが、2005年、市は一世帯当たり2700万円の立退料を支払っている。まさに部落解放同盟の勝利であった。

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ほっこり京都人 目次
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60587479.html
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