ほっこり京都人

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ほっこり京都人 
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はじめに
 
私が2008年1月から2009年2月までの一年間にこのブログで書いた随筆「ほっこり京都人」を目次にしてみました。
 
私の履歴書で札幌を離れてからの46歳(1991年)から50歳(1995年)までの4年間を書くのには、どうしても京都を思い出す必要がありましたから読み直したついでに。
 
尚、ここで言う「ほっこり」という言葉は、一般的な「ほかほかとあたたかい」という意味ではなく、京言葉でのほっこりで、「ほっとした疲れ」を意味します。肉体的疲労ではなく、精神的軽い疲れですね。
 
だから 「ほっこり京都人」 とは、「会うとちょっと疲れる京都の人」 という意味です。
以前一度お読みになった方は、改めて読み直すと、新たな京都を発見するかも。
 
 
 
さて、
 「 ほっこり京都人 目次 
 
ほっこり京都人(1)遊郭の街だった京都
 
ほっこり京都人(2)《ここで京都人の典型的な実話を先ず一つ》
 
ほっこり京都人(3)《京都人が、いかなる事で東京人を理解出来たかの余談を一つ》
 
ほっこり京都人(4)《京ことばの元をたどれば》
 
ほっこり京都人(5)《京ことばの裏事情2-1》《京ことばの裏事情2-2》
 
ほっこり京都人(6)だから京都人は京都が好きなの
【京都の人の言う「京都」の場所とは】【京都の人の嫌いな県民】【京都の人の嫌いな方角】
 
ほっこり京都人(7)学生の街・京都の歴史的わけ
《初めて見たうなぎの寝床》《学生の街・京都とは》《今もダニと闘うお茶屋さん》
 
ほっこり京都人(8)京都の節分あれこれ
 
ほっこり京都人(9)40年前の京都の夜のこと
 
ほっこり京都人(10)京都の人使いのノウハウ
 
ほっこり京都人(11)首切りが見世物だった京都
 
ほっこり京都人(12)京都の民家にタイムカード
 
ほっこり京都人(13)いよいよ、ほっこりして来ましたね
 
ほっこり京都人(14)京都の町屋のある秘密
 
ほっこり京都人(15)京大生を甘やかし過ぎた京都の街
 
ほっこり京都人(16)京大生が木曽路や小諸を好きだった訳
 
ほっこり京都人(17)40年前の京都の素敵な人との再会
 
ほっこり京都人(18)京都の女性を妻にした男
《茶寮のお嬢さんの場合》《お公家さんを祖先に持つお嬢さんの場合》
 
ほっこり京都人(19)非公開・国指定名勝「対竜(たいりゅう)山荘」の思い出
 
ほっこり京都人(20)京都の男の性癖
 
ほっこり京都人(21)京都室町商人の真髄
 
ほっこり京都人(22)古都とは、色々な人達の想いの地
 
ほっこり京都人(23)京都とは宗教に名を借りたしごきの場
 
ほっこり京都人(25)「東男に京女」の本当の意味
 
 
 
 
尚、下記の文は、私が書いたものではなく転載したものです。参考迄。

当時、朝鮮半島では一種の奴隷制度があり、大半の人は生きるのが大変でした。そこで職を求めて日本に来るのですが、すぐさままともな職があるはずもなく、空腹に耐えかねて悪行を重ねました。

無論、当時の朝鮮半島での文化は、身内のためには他人のものを盗んでも罪ではないということですから、日本社会では排斥されていきます。

そういう状況の中で、職を求めて渡来し、いかに生き延びたかの自叙伝です。
内容は反日になっていますが、彼等の視点からはそうならざるを得ないでしょう。

 
ほっこり京都人(24①)戦前~戦後の京都の街での「在日コリアン」の辛苦
 
ほっこり京都人(24②)京都の根底に流れるもの
 
ほっこり京都人(24③)日本の朝鮮人拉致問題
 
ほっこり京都人(24④)戦後の京都を創った二人の首長
 
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