京都の節分あれこれ

ほっこり京都人(8)

今日は、節分。豆まきは京都が発祥ですね。

京都の節分と言いますと、やはり表鬼門の吉田神社。裏鬼門の壬生寺
これを機会に、京都の節分の行事・慣習などの記事サイトを下記(参考1~3)に掲載しました。


尚、私が京都に住んでいた当時は、節分に「恵方巻」(寿司の太巻き)を食べる慣習は無かったです。

そもそも江戸時代、大阪での節分での慣習。1977年に大阪海苔問屋協同組合が、道頓堀で「巻きずし早食い競争」の イベントを始めたのが復活のきっかけとなったようです。

他方、「お化け」(お化髪)も、本来は京都の大衆行事。(以後、大阪北新地→東京浅草へ)

節分が3日、翌日が4日の立春
つまり、秋・冬の神様が、春の神様と交代する時。

このつなぎ目に、どさくさに紛れて厄(やく)がやって来るから、町民がお化けの姿をして、厄を驚かして追い払おうとしたもの。

8月23~24日の京都のあちこちの路地で行われる「地蔵盆」と同様、微かに記憶があります。

以後、40年。今の「お化け」は、花街だけになってしまったようですが、復活を期しているようですよ。今日12時半から、京都市役所前で特設ステージを作ってお化けが登場しますからね。

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(参考1)2008年01月31日付、asahiドット・コムの記事「恵方社の前で太巻きがぶり」より

一年の福徳をつかさどる歳徳神(としとくじん)がいる「恵方(えほう)」に向かって毎年向きを変える珍しいほこら「恵方社」が、中京区御池通神泉苑(しんせんえん)町東入の国の史跡「神泉苑」にある。

節分に恵方を向いて太巻きずし(恵方巻)をかぶりつく「丸かぶり」がはやりだが、わざわざ恵方社にやって来て、丸かぶりする人が出てきている

神泉苑は794年、平安京造営時に大内裏の隣に造られた庭園とされる。現在は東寺真言宗の寺。恵方社は高さ約1・7メートルの木製で、高さ約90センチの石の台座に載っている。ほこらが、いつ作られたのかははっきりしない。


 毎年、大みそかの夜に鳥越英徳住職(57)らがほこらを持ち上げて、新年の恵方に合わせて向きを変える。今年の恵方は南南東だ。


 恵方巻を食べる習慣は江戸時代に大阪から始まったといわれる。節分の夜、恵方に向かって無言で丸かぶりすると、無病息災で過ごせるといい、約30年前、関西ののり業者が普及活動をし、イベントとして知られるようになった。近年、コンビニエンスストアなどが恵方巻を販売するようになり、全国へ広まった。


 食べる場所は決まっていないのだが、鳥越住職によると、最近は「恵方社でないとあきません」と、寒さに耐えながら、ほこらの前で食べる人が出てきた。「恵方巻が広まったことなどで、節分の日に神泉苑に来る人が増えているようです」と話す。

(参考2)下記はサイト「e-kyoto」です。


(参考3)下記は、サイト「京都観光まるごと案内」です。
http://www.sames-sab.net/index.html

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